2024渋谷幕張中 社会② 天智天皇と歴史の真実

どうも。歴旅です。
今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

天智天皇。若い時の名前は中大兄皇子。
胡散臭い天皇代表です。

前回でなかった話を続けます。
①日本最古の国書は『日本書紀』『古事記』ではない。『帝辞』など推古天皇と聖徳太子が編纂していた。
②蘇我氏は全方位外交でバランスを取っていたのに、百済に肩入れし白村江の戦いで大敗北を喫した。
③聖徳太子の宮家も全滅(蘇我入鹿が殺したことに)
④蘇我入鹿を暗殺
⑤その後就任した孝徳天皇をガン無視して置き去りにして近江宮に遷都。

どうでしょうか。この辺りの流れ、おかしくなっていますね。
蘇我氏が悪人にされていますが、元々天皇家の中枢に入っていて聖徳太子を助け、
改革を実施していたのがどうしてこうなったのでしょうか。どちらかというとクーデターに近い。
その後どこの馬の骨とも知れない中臣鎌足が政治中枢に入り、
息子の藤原不比等が『日本書紀』の編纂に関わりました。

受験が終わってから研究してください笑

この後天智天皇、天武天皇のバトルが発生します。
歴史書編纂は天武天皇の時代に編纂開始になっていますが、天武天皇自体の記述がとても少なく、
次の持統天皇の時代に完成出版。藤原不比等は同年に亡くなっています。
天照大神の天孫降臨神話は実は持統天皇から草壁皇子、大津皇子の争いと類似しており、
歴史に神話を合わせた可能性があります。
この時代の朝廷、ぐちゃぐちゃです。

天皇家を支えた忌部氏(齋部氏:いんべ)が朝廷から追われ、
藤原氏の政権独占に怒り氏族の歴史書を残しています。

それ以外も紀(きの)氏、橘(たちばな)氏など名門の氏族が朝廷から追われて行っています。
万葉集は歌集という位置づけですが、誌の形をした歴史書です。
読み解くのが難解ですが、当時朝廷で置かれた人の裏の心情、追われた人の立場などが読み解けます。
小倉百人一首はテーマが限定されていますが、いろんな読み手が関わっていますね。