2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉④ 宣教師の目的は日本侵略!?
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
やっと秀吉の時代に入ろうと思います。
とはいっても、信長に仕えたりあちこち戦った話ばかりしても面白くない。(ずっと戦っているんのでいくさの話にはなりますが)
この頃の日本を取り巻く環境を見てみましょう。
■入り込んでくる宣教師
戦国時代、実はもう少し前の室町時代あたりから急速にヨーロッパから人が入り込んできています。ついでに中国人も入り込んできます。
日明貿易をしていたあたりから倭寇が増え、密貿易や海賊交易などで日本列島から大陸、朝鮮半島、東南アジア交易が盛んになっています。足利義満は勘合貿易を公的な貿易として実施していましたが、時代が進むともはや管理しきれていません。私的貿易=密貿易=海賊の時代です。
こうした環境では
「日本ていうところがあるらしいぞ?」
「わりと行けちゃうみたいだぞ?」
ということでいろんな勢力が入り込んできたことは容易に想像がつきます。
現在の山口県と北九州の一部を領有していた大内義興(おおうちよしおき)。後半は勘合貿易を独占し、「西の京」と言われるくらいの経済と文化を山口に残しました。大内氏はもともとは百済出身と言われています。室町時代から約150年間で63回も朝鮮へ使節派遣をしており、19回の日明貿易のうち7回は大内船、最後2回は完全独占でした。これだけ往復していれば、日中韓の海洋民族が相当頻繁に往来していたことが分かります。
四国の雄、長曾我部元親もまた明から来たと家では伝えられているそうです。名前がそんな感じですね笑
西欧では大航海時代が始まります。宣教師も1492年コロンブスの新大陸発見だけでなく、世界中に布教活動に出かけたのでした。
スペイン・ポルトガルは大航海時代に、世界中に出かけました。
この頃スペイン・ポルトガル間でろくでもないルールを決めます。
1494年トルデシリャス条約。
どんな内容化というと、「ヨーロッパから出発して西はスペインが支配するから、ポルトガルはアフリカからアジア方面支配していいよ」という内容です。
これはローマ教皇アレクサンデル6世が公式に認め、新領土の分割方式が定められたのでした。
そんなわけで勝手にアジアもアフリカもアメリカ大陸も早く分捕れ!とばかりに進出します。
実際に外に出て行ったのはマラーノと呼ばれた改宗ユダヤ人が多かったといわれています。また、バスク人なども多く、ザビエルもバスク人でした。地元に居づらい少数民族、異教徒が外へ外へとチャンスを求めた時代でした。
(ちなみに18世紀以降アジア支配に動いたイギリス人の大半はイングランド人ではなくスコットランド人でした。)
国としての威信をかけて!みたいな文脈とはちょっと違いそうですが、個人的なメリットもあり新天地を求めたのでしょうね。
新領土への野心をたぎらせまくったスペイン、ポルトガルはガンガン外の世界に出ていくのでした。
■日本の対外貿易
先の日明貿易(勘合貿易)が有名ですが、公的な貿易より圧倒的な密貿易の方が活発であり、この頃経済的にも文化的にも変化がありました。
東アジア経済圏では日明貿易が中心で、日本から銀、硫黄、銅、日本刀などを輸出し、明から生糸、絹織物を輸入しました。
この頃日本は世界の1/3の銀を産出する資源大国であり、
明物産の輸入大国だった日本は東アジア貿易圏で突出した存在で、
当時明と日本は貿易によって世界一、二の経済大国だったと推測されていました。
しかし明は海禁政策を取っていたため、この密貿易にポルトガル人が介入し、中国で仕入れた生糸、絹織物を対日貿易ルートに参入していました。こうしたところに西洋人が入り込んできたのです。堺の港では多くの商人でにぎわい、洋の東西の多くの産物が集まっていました。
ちなみに堺の商人は一人一人が船を持ち、莫大な取引をしていたため、名前こそ残っていないものの他の戦国武将級の経済力を持った商人がゴロゴロいた、というイメージです。
千利休は単なる茶人のイメージだと思いますが、立派な大名クラスの豪商だったわけです。
このような時代に、各地の戦国武将はどのように対応していったのでしょうか。
皆さんだったら、どの勢力とどのように付き合いますか?
次は怪しい宗教を広めたいといいながら最新武器を持ってくる西欧人との付き合い方です笑
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