2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉⑩ 西軍真田氏

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

本日は戦国最終編。
最後に戦国の世に華々しく散った真田幸村のお話です。
歴旅の好きな武将です笑
簡単にお話します。

彼は大坂の陣以前はあまり目立つ武将ではありませんでした。真田氏は代々歴戦の武将で有名だったのですが、親父さんの真田昌幸の方が知将として恐れられていました。大坂の陣で真田が出てくる、と聞いた家康は、「親の方か、子の方か」と聞いたそうです。子の方と聞いて安堵するのですが、実際大坂の陣を迎えると、もう少しで討ち取られそうになるほど家康に恐怖を与えたのでした。

真田幸村、正式名は信繁(のぶしげ)。彼が有名になったのは大坂夏の陣での戦いっぷりと、豊臣方に最後までついて戦い抜いたことです。どちらが分がいいかなんてさすがにわかっていたでしょう。しかし家督相続する兄の信之には徳川側につけ、幸村は豊臣方に付きます。一族を分断してでも、どちらが勝っても生き残る。すさまじい存続の執念です。真田家自体は強大な武士団ではありませんでしたが、知略に優れ、生き残る事への執着、戦略がすさまじいのです。

大坂夏の陣。この雄姿が江戸時代も歌舞伎、浄瑠璃の人気演目となり、現代にも語り継がれているのです。

真田十勇士と呼ばれる忍者集団を従えていました。
猿飛佐助、霧隠才蔵、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、
望月六郎、穴山小介、根津甚八、三好清海入道、三好伊三入道。

架空の人物もいますが、海野家、望月家はもともと真田家と親戚関係、母体となった家でもあります。この辺りはもはやフィクションですが、戸隠にも忍者村があったり、上田の温泉に行くと海野家の家紋だらけだったり、長野に行くといろいろとおもしろいですよ。

さて、最後の余談ですが、
真田の兄弟で敵味方に分かれてでも一族を存続させる、という戦略、
すごくないですか?

言ってしまえばどちらの勢力からも敵に通じているのではないかと怪しまれる。だからこそ前線に放り込まれるし、そこで仮に双方ぶつかっても本気で戦わなければならない。辛すぎます。その分一族の結束力が強くないと実行できない戦略です。どちらの勢力が勝っても次の時代に真田氏を残す。現代でも真田さんは残っています。すごいですね。

 これと同じ戦略を取った家があります。実は徳川家です。
御三家の一つ、水戸徳川家というのがあります。

同じ御三家の紀伊徳川家、尾張徳川家が60万石規模なのに対し、水戸徳川家は実収28万石程度(表高35万石)でした。まあ藩としては大きいのですが、それほどでもない。不思議ですよね。

この水戸徳川家。実は真田と同じで意図的にイレギュラーな動きをする徳川家というポジションなんです。
幕末において顕著ですが、水戸学を発展させた結果徳川家と天皇家だったら「天皇を優先する」という方針を持っており、徳川斉昭は外様大名の島津久光、山内容堂らと幕政参与に参加。攘夷論で幕府に反対。開国にも反対。

不思議ですよね。幕府の方針に反対しまくっています。
もともとの水戸学のバックボーンがそうさせた、とも言えますが、水戸藩はそもそも家康が、「いざ徳川の世が危なくなった時に、反対勢力に寝返えること。そして次の世でも徳川家を存続させること」をミッションにしていたそうです。

幕末には戦国時代の教えの本質が忘れられていた結果、変に存在感を示してしまって次の中枢を握ることはできませんでしたが、いろいろ考えられていたんですね。

戦国時代はそれこそ日本各地の物語が大量にあるのですが、いったん中央の話だけにしました。地域編で各地の事もやりたいですね。

ではまた。

戦国時代

Posted by rekitabipapa