2019年桜蔭中学校社会①より 江戸と海外⑤ 戦闘民族日本人

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

侍ジャパン、東南アジアへ。
先ほどの侍労務問題が出てきましたが、もう少し見てみましょう。

■戦闘民族日本人
 2000年くらいの歴史を通じてみると、日本人って戦闘民族だな、と思います。この70年が一番牙をもがれているのではないでしょうか。もちろん平安時代、江戸時代など長く平和が続いた時代があります。しかし、日本人はひとたびプライドと主権を侵され始めると烈火の如く戦い始めます。だから中国はキレさせないように100年計画でゆっくり侵略するんですね。欧米は圧倒的体制を作ってからキレさせ、責任を擦り付ける戦法を取ります。

さて、戦国時代ですが、実際直近の戦後体制より前で考えると、一番経済的にも軍事的にも世界最強だった時代ではないでしょうか。

各地の大名が各地でやっていた事なのでなかなか統計データにまとめることは難しいですが、

・金山、銀山を開発。金銀を輸出していた。
・私的交易船を持ち貿易していた
・茶の湯や安土桃山文化など新しい文化が花開いた
・伴天連から西欧の珍しいものがたくさん入って来た
・鉄砲量産可能。世界最大の鉄砲保有国
・伊達家は仙台から独自に遣欧使節団を派遣
・和紙や漆器、焼き物など地元特産品の開発が進んだ
・新しいものを知っては内製化
・中国の好きな海鼠、鱶鰭など高級食材輸出国。

単純にいうと、バブってました。そのあり余るエネルギーで国内戦争していたのですが、ついに1590年豊臣秀吉によって天下統一となります。その後江戸幕府を作った徳川家康に覇権はシフトするのですが、困ったのは豊臣方西軍のサムライ達。

・平和になったら仕事がない。やることがない。
・土地も没収
・田畑も耕せない。
・場合によっては家康にお家お取り潰し
・テロを画策するしかない
・あとは逃げるしかない

状況と選択肢としてはこれくらいでしょうか。
実は3代家光将軍の時代になるくらいまで、決して徳川幕府も安泰とは言えない状況でした。
各国はそれなりに力を保有している。刀は取り上げたけど、農民は他の武器なら持っている。一揆が起こると全員餓死で共倒れ。

そのため徳川幕府の天海というお坊さんは、西軍諸勢力の動向を見張らせ、伊賀忍者を使って各地に忍び込ませ、常に警戒しています。

こうして国内が封じ込められていくと、もう海外に出るしかない、という人達も出てきます。
この頃やけっぱちで出ていったわけではなく、南蛮貿易がかなり頻繁に往来していたので、ルソン、マニラ、バンコク、バタヴィアなど、それぞれの街の様子なども伝え聞ける状態になっていました。

なので新天地を求めて飛び立っていったのでしょう。
サムライ達は貿易など商売はできません。海外で土地をもらえるかわからないので農業もできるか不明。
できるのは戦争、奉行的な財務、経済、農政コントロール。

戦闘能力×行政能力

東南アジアでこういう能力が求められていました。

今でいうところのハイレベル人材の海外転職活動ですね笑
文武両道なサムライの出番です。

東南アジアは昔からいくつか王朝はありましたが、島も分散しているため諸王国が乱立している状況でした。そのため王様もたくさんいたし、その分だけ家臣団、兵団の需要がありました。

 インドネシアではマジャパヒト王国というのがありましたが、オランダが侵略するにつれ王族はハメンクボウォノ王家スラカルタ(ソロ)王家に分離します。ハメンクボウォノ家はオランダに抵抗しジャワの文化を大切にしますが、ソロはオランダに寄り添っていきます。

 このように東南アジアでも様々な王家が存在し、それぞれが自治権、外交権、兵団を持っていました。オランダ東インド会社が「会社軍」を持っていたなら、東南アジアでは「県知事軍」「市長軍」を持っていたような感じですね笑

 ここに莫大な軍事的需要がありました。日本の浪人達は食い詰めて餓死するよりは、と思ったのか東南アジアへと流れていきます。

 中には出世する人物も出てきました。