平成29年桜蔭中学校社会①より 地理編富山県⑨ 明治~昭和の財閥

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

富山の旅も長くなってきました。話は全然富山にとどまっていないですが、でも北陸のすごさがちょっと見えてきたんではないでしょうか。「裏日本」ではないですよ笑

ここで一人富山の偉人を紹介します。

■金融・生命保険
名は安田善次郎
彼は一代で安田財閥を築き上げます。
幕末に生まれ、江戸の奉公先で玩具屋、鰹節屋兼両替商で働きました。
25歳で独立して乾物と両替商を商う安田商店を開業。
両替業で莫大な利益を出しました。

安田損保(現損害保険ジャパン)
安田生命(現明治安田生命保険)
今は亡き富士銀行(現みずほファイナンシャルグループ)
北海道で最初の私鉄釧路鉄道を敷設。
釧路炭田開発。
釧路港開発。
根室銀行設立。
日本電気鉄道、帝国ホテルの発起人。
東京電燈会社、南満州鉄道への参画。
日本銀行の監事。
東京帝国大学の講堂建設費も寄付してくれています。
安田講堂ですね。
早稲田大学、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校にも寄付してくれています。

すごくないですか??
よく見ると会社と会社がバリューチェーンでつながっているんです。
炭鉱を作ると船で出荷する港が必要。
山から海にもっていくのに鉄道が必要。
資金やり取りするのに銀行が必要。
各地で人が集まり移動できるホテルが必要。
ノウハウが溜まってきているので海外展開で呼ばれる。

今の日本には既存のサービスがありますが、この頃はなかったので全部作っているんです。すごいですよね!!
最後は富豪を妬まれ暗殺されてしまいますが、陰徳を積み国に尽くした慈善家だったと思います。

善次郎は国家経営の根幹にも深く関わっていますが、自分の天職を金融業と決め、いたずらに事業に手を出さないように戒めています。
(なのにめっちゃ事業作っていますが笑)
また、同郷の浅野総一郎の事業を支援し、育成には力を惜しみませんでした。彼は浅野財閥を作っています。

安田善治郎は一人で日露戦争の費用の1/7を捻出したといわれています。
すさまじい人材は東京ではなく、地方で生まれていますね。大自然がそうさせるのでしょうか。

今大河ドラマで渋沢栄一を扱っていますが、関連で明治から昭和の経済人は出題されるかもしれないですね。
この時代、同じように事業を起こしまくった人達がいました。渋沢栄一だけがすごいわけではなかった。

善次郎の事業を見ていると、やはり富山の産業の流れが見て取れますね。
薬売り台帳管理ビジネスモデルからの損保・生保の保険業。
北前船ルートでの北海道釧路の炭鉱、硫黄開発。
産業は土地や文化とも密接に関わっています。

ここからは歴旅説ですが、善次郎、富山を愛していたのではないでしょうか。地元を。産業を。なじみのある産業から始める、というのはもちろん鉄則です。縁がある土地でビジネスをするのもそうです。全く新しい土地で未経験の仕事をしたら失敗率が上がる。
しかし、産業と人を見ると、土地と人を支える産業を作り、日本を守るために出資し、地元を中心に出資し人を育てる。
先の後藤新平は岩手出身でしたが、政治家ですが財閥とも付き合いがあります。渋沢栄一、益田孝、安田善次郎、大倉喜八郎、安田総一郎
彼らは日本の独立を保ち、欧米資本に絡めとられずに、産業振興、人の育成に当たっていたのではないか。それは後藤新平の言葉にもあります。

お金は稼いでも栄枯盛衰で消滅します。
歴史に残る事業を起こした戦前のビジネス。
ドラマがあってかっこいいですね。

「一に人、二に人、三に人」
「金を残すのは下、事業を残すのは中、人を残すのは上也」

この時代、ビジネスマンであっても常に欧米列強植民地主義との戦いが目の前にありました。
視野は富山に限らず、日本全体、アジアへと事業展開していっています。
でもこの人達の胸にあったのは、立山連峰など故郷の景色、故郷の人達の笑顔だったのではないでしょうか。

明治から昭和まで生きた人達が残した事業、人物の系譜の中に、私達はいます。

出てきた経済人も少しご紹介しましょう。
大倉喜八郎。彼は戦前に大倉財閥を築き上げます。ホテルオークラが有名ですね。中堅財閥ですが、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場を作りました。貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食料など多様な事業を作りました。もともと新潟県|新発田藩《しばたはん》の大名主の家柄でした。大倉土木組は現在の大成建設です。

益田孝。彼は三井物産の設立に関わり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊しました。茶人で新潟佐渡島の出身です。明治後期には三井物産は日本の貿易総額の2割を占める大商社になりました。

渋澤栄一もそうですが、この頃のビジネスマンは一人で上場企業をいくつも作るようなことをし、且つ全国、海外も含めたインフラ産業に出資、育成するなど、社会を変革するような事業をいくつも手掛けていました。
すごいですね。その原動力は頭の良し悪しではなく志の高さと発想、世界観なのではないかと思います。みな学校を作ったり寄付したり、「お金」そのものを目的とせず、人作り、事業作りをしていたといえます。