平成29年桜蔭中学校社会②より お茶の歴史⑤ お茶とアヘン戦争①

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

前回は戦国時代の茶の湯。意外と深かったですね。
戦国武将の背景なども出てきたり。思ったより繋がりがありますね。
今日は世界のお茶を見に行きましょう。
今年は香港の件があったのでし、歴史的にも重要ポイントです。

突然ですが問題です。
18世紀イギリスで人気だったアジアの商品は何でしょうか?
1.鱶鰭(ふかひれ)2.毛織物3.昆布 4.綿織物

■茶の呑みすぎでアヘン輸出
 お茶は様々な権力者を魅了し続ける嗜好品でした。今でこそいつでもどこでも飲めるお茶ですが、もともと中国の霊薬です。
今も健康食品は日常的なものよりも高価格帯ですが、価格が下って日用品になったとはいえ、お茶はそれなりに高級品でした。

 18世紀後半ごろ、既にイギリスは植民地を拡大し始め、世界中の海を交易していました。その中でも取り扱っていたのが中国のお茶。紅茶は現在世界中で収穫されますが、18世紀後半頃は中国がほぼ独占状態で、「お茶が欲しいなら中国と貿易するしかない」という状態でした。清朝は1757年以降広東港でのみ欧州諸国と交易を行う広東貿易制度を取っていました。当時中国は朝貢貿易という形態のみしか貿易を認識していなかったので、イギリス東インド会社の交渉には全く応じませんでした。この状況もイギリスには満足いかなかったんですね。そしてこの制度、国の保護貿易という点ではまともな制度です。
 個人的に貿易を許すと、結果的に密貿易になります。国として禁止している物も入ってきてしまう。有害なものが国に蔓延する。反乱軍、テロリストに武器弾薬が渡っていく。買えてしまう。国にとって重要な文化財や、金銀財宝などが勝手に流出してしまう。国が管理できなくなってしまいます。
 こういうことがあるので国で一括して貿易の管理監督を行い、ちゃんとしたところにのみ貿易権を与え、国としては限られた貿易商を管理していけばよい、という状態になります。
 自由貿易というのは個人的に商売したい人にとってはいい制度ともいえますが、何でも自由に扱っていいとなると、個人は稼いでも国として損害を被る可能性があります。要するにイギリスは「お茶は欲しいけど銀は出したくない」「代わりに買ってくれるものがない」ということに不満なんです。「じゃあお茶買わなければいいじゃん。」ということなんですが、当時イギリスでは紅茶が大流行しており、やめるわけにはいきませんでした。イギリスは仕方なく「銀」で支払っていました。
お茶を銀と交換。
イギリスは貿易赤字です。
そんな英中貿易状況でした。
そんな中、イギリスはとんでもないことを思いつきました。

「そうだ!中毒性の高いアヘン(麻薬)を中国に輸出して、そのお金でお茶を買おう!!」

わお。とんでもない国ですね。かなり外道な方法です。
イギリスはインドから中国へアヘンを輸出し始めました。
中国からイギリスへはお茶・陶磁器・絹
イギリスからインドへは産業革命で大量生産できるようになった綿織物を大量輸出し始めました。
魔の三角貿易です。

ちなみにイギリスはインドから綿織物を買っていました。対インド貿易も赤字でした。毛織物って固くてゴワゴワ。肌着にしたら痛い。干しても乾燥しにくい。イギリスではインドの綿製品が人気で大量に買い付けていたのですが、産業革命以降、粗悪品な綿製品を向上で作れるようになり、植民地なので強制的にインドに買わせました。高い粗悪品で安価で良質な商品を駆逐する。これは武力を伴うからできることです。普通買いたくないですからね笑

そして遂にイギリスは中国にアヘンをまき散らすことにしました。
常習者を作ってしまえばあっという間。麻薬ですから、依存性が高く高価格。高いお金を出してみんな薬物依存症になっていきます。身分にかかわらずアヘンに染まり始めました。

さすがに中国、ブチ切れます。
アヘン禁止令を何度も出しますが、効果は薄く、アヘン中毒者は増加するばかりでした。こうして中国は大量のおカネを流出することになり、イギリスは銀を消費することなく茶葉を手に入れることができました。

イギリスのおしゃれな方々はカフェで紅茶を楽しむ生活を続けることができました。中国に大量のアヘン中毒者を出しながら。。

中国にとって大きなトラウマになっています。自由貿易を禁止していたらとんでもないことをしやがった。
中国も商売人の国なので貿易を止めようとはしません。密貿易だってあったと思いますし賄賂大国なので目をつぶっていた役人もいたと思います。しかしイギリスがやったことは許せなかった。いや、だれがどう見ても許せません。
でもやっちゃったんですね。お茶のために。利益のために。

答え 4.綿織物
続く