2018年開成中学校社会①より 近現代史 朝鮮半島事情

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

突然ですが問題です。
中国と朝鮮半島の国境となる川はどれでしょうか?
1.洛東江2.錦江3.鴨緑江4.漢江

■朝鮮半島事情
 近現代の朝鮮半島事情。これはかなり重要なところです。もちろん現代ともつながってきますし、戦前の対応、事情、現在と置かれた状況の違いがあります。当時の感覚で当事者感を持ってみるのが重要です。
歴史の前提として、朝鮮半島に地理的条件と歴史を振り返ってみましょう。
 
歴史的に朝鮮という土地は中国大陸に隣接している半島国家でした。この国は神話でも天地開闢の話は出てこず、どこか他から人が来て成立した国と描かれています。
しかし一番驚異的なのは、中国大陸に接し、常に大国の影響を受ける環境に居ながら、2000年間朝鮮民族が消滅していないことです。もちろん大きく影響を受けていることは確かですが、中国大陸内の多くの民族が消滅し、ベトナムも「中国といかに違うか」に苦慮するくらい同質化が進んだ状況に比べると、いろいろありながらも独自性を残し続けてこれた歴史はすごく、民族的アイデンティティの強さを感じます。中国周辺諸国はみな呑み込まれて行っているのに。

もう一つ、地理的要因で朝鮮民族を考えたときに、北と南で異なる、というのが重要な観点です。南は古代においてはおそらく日中韓の海洋民族はほとんど同じだった時代もあったと考えてよいでしょう。漁民、海賊など海洋民族そのものがそうであるように、陸地の文化的国境と異なる概念で生きています。言語が違う。文化が違う。でも両方である。混ざっている。国境がない。交易を主としている彼らからすると、両方あって普通で、どちらかでもなくなってしまうのは想像が付きます。
 古代の状況を見ると日本の北九州と任那みまな百済くだらなどは近い関係にあったと思います。(もう少し民族的にたどると山東省から広州の呉越まで)
みんな刺青を入れる漁労文化なんです。

 一方で北の方はほぼ遊牧民族世界。鴨緑江(やーるーじゃん)を中朝の国境としていますが、中国東北地方、沿海州は昔から遊牧民族世界です。狩猟採集民族のツングース系、紀元前にはトルコ系もいました。
そう考えると朝鮮半島の民族は馬と船の両方に精通していたといえます。
馬の世界では、隋も唐も高句麗征伐に多大な軍事力を投入し、そして失敗しています。乙支文徳(ウルチムンドク、いっしぶんとく)は隋の高句麗遠征でも戦い抜き、防衛に成功しています。
一説には鮮卑の出自とされていますが、トルコ系騎馬民族。
北にはやはり将軍様が要所要所に出てくるんですね笑
これは本当に英雄視されると思います。隋、唐って超強大な国家ですよ!
隋唐だってツングース系鮮卑民族なんです。騎馬民族だから強い。
遠方とはいえ陸の戦いでよく勝ったなぁと不思議に思います。

こんな朝鮮半島ですが、国家レベルでは統一されていた時は半ば中国の属国の時です。
統一新羅、そこからの高麗。そして李氏朝鮮
新羅は唐との同盟を結んでいましたが文化的にも軍事的にも影響を受けていました。そして高麗はモンゴル軍に蹂躙されてしまい、男子系は大虐殺状態がありました。もともと儒教仏教という動物を殺生しない文化のはずなのに、焼肉文化になったのはこの頃からですね。(ちなみにホルモンは韓国本国ではもともと食べません。日本の文化ですね笑)モンゴルの支配が進んでからは、高麗の宮廷はモンゴル貴族化していました。
逆に1~5世紀の馬韓、弁韓、辰韓三韓時代、そこからの百済くだら高句麗こうくり新羅しらぎの三国時代は古代だったこともありますが、やはり半島の独自性が強かったといえます。
統一王朝となった韓半島はそのまま中国の儒教の論理を受け入れ、中国を兄とし自分を弟とする小中華思想を取り入れ、中国に朝貢する属国スタイルを取ります。

何かあると北から馬が攻めてくる。
そんな環境なので国を存続させる上でいろんな苦慮があったと思いますが、中国という巨大国家に常に対峙し、日本と中国のバッファーステート(二つの勢力に挟まれた間の国)であり続けた朝鮮半島。
いつも戦乱で苦労している土地です。しかし分裂していた方がそれぞれ独自外交できていた、ともいえます。なかなか複雑ですね。
それでは近代化における半島情勢を見ていきましょう。

答え 3.鴨緑江
地理で出そうですね。

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鴨緑江