2018年開成中学校社会①より 近現代史 国学
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
突然ですが問題です。
本居宣長が書いた本はどれでしょう。
1.『もののあわれ』2.『源氏物語』3.『馭戒慨言』4.『陽明学』
本日は国学についてみてみましょう。
■国学
江戸時代から触れてみましょう。この辺りは試験に出題されるポイント満載。ぽろっと差し込まれるでしょう。メインでは話しにくいものの、要所要所で重要なんです。ざっくり行きます。
そもそも国学ってなに?
国学とは「日本ってなに?」というのを明らかにする学問です。
歴旅の書いた縄文文化の本も、一言も触れてませんが、ある意味国学書になります笑
『SDGsを超える日本の縄文文化』
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国学は要するに、
・文化の根幹とは何か
・日本民族精神のよりどころとは何か
ということを明らかにする学問です。江戸時代には蘭学と並び代表的な学問とされていました。
海外の文化、技術を学ぶのに、並行して「日本とは何なのか?」を学ぶんですね。
初期の頃は儒教、仏教を研究しすぎて、「中国文化ばかりやってたが、日本って何なんだっけ?」という問いから日本の精神世界(古道)を明らかにしました。
歌学者の|契沖《けいちゅう》が始めました。
方法論について
|伊藤仁斎《いとうじんさい》の古義学(直接一次史料を見ようね)、
|荻生徂徠《おぎゅうそらい》の古文辞学(朱子学以前の時代から直接学ぼうね)などの漢学者の方法論がのちの時代にも用いられます。
漢学者の理論ではあるのですが、国学もこうした方法論から学び、古い時代を直接見るようになりました。
この頃は|朱子学《しゅしがく》というのが流行っていました。
朱子学って何?というと、もともと|科挙《かきょ》試験を通ったエリート官僚層である|士大夫《したいふ》が発展させた仏教、道教などを排除して純粋儒教を進化させたもので、過去の四書五経などの儒教を時代に合わせて新しく理論化したものです。
のちの|陽明学《ようめいがく》のように知行合一という行動原理の理論なども作りました。
しかし朱子学は成立後、元朝モンゴル支配下では暫く偏屈思想としての時間を過ごすことになります。元朝は|色目人《しきもくじん》を登用しました。色目人はアラブ人、ペルシア人など中東の人々で、漢民族は一番下。中華思想なんて何の役にも立たない時代でした。中国のど真ん中でモンゴルに支配され、漢民族は最底辺。本当に臥薪嘗胆、ひたすら耐える時代でした。
それこそ必死に人生賭けて学ぶ受験制度だった科挙。中華文化の重要なシステムです。必死に温存した人達がいたのでしょう。そして元朝末期、そして明、清に至った時に全力で世に出ていくのです。この科挙試験があれば漢民族は官僚機構を支配でき、天下を統治できる。
朱子学は、こうした背景で「異民族になんて滅ぼされないぞ!中華文化万歳!」という色彩を持ち、ある意味愛国、保守、外敵と戦う際の理論武装として用いられます。純粋さにこだわる。
逆にいうと多民族を受け入れるようなおおらかさがないんですね。
日本では国に殉じて生死を考える武士の行動規範として尊重されましたが、「これって本当に日本人らしい思想なの?」という疑問が出てきます。
ここが面白いですね。
大陸文明の儒教道徳、仏教道徳は「仁義礼智信」みたいな武士道や人としての規範を与えるけれども、人間らしい感情を押し殺す。
「日本人ってもっと人間のありのままの自然や恋愛感情を表していたんじゃないの?」
というのが国学の事始めです。
『万葉集』を見るともう自由に恋愛の歌や自然を愛でる歌が出てきますね。|賀茂真淵《かものまぶち》は万葉集を研究して作為のない自然な感情、態度こそ人間本来のあるべき姿としました。
本居宣長は『源氏物語』を研究して「もののあはれ」というやまとごころを提唱します。無常観、しみじみとした情緒、哀愁みたいなものに美意識、価値観を感じるよね。と。
儒教的な勧善懲悪って合わなくない?という観点です。相手が絶対悪と決めつけて戦う日本人って、意外と少ない気がします。(たまにいますが笑)だから弱者、悪とされたものを負けるとわかっているのに守ろうとする判官贔屓なんて言葉もあります。そこには本質があるのでしょう。
本居宣長が生きていた江戸中期、実は朝鮮文化が流行っていたんですね。当時のKPOPとか、ファッションの流れが来ていた。それに対して「日本はこうだ!」というのも示したかったのかもしれません。『古事記伝』や、|『馭戒慨言《ぎょじゅうがいげん》』という日本中心の外交交渉史の解釈本を書いています。
この辺りはむしろ中学高校の倫理、国語の授業で出てくると思いますが、本居宣長の後半の思想は幕末に進むにつれて対外膨張的皇国史観に繋がっていきます。
明治以降の神道については下記3点が言えます。
①本来自然や山を大切にする精神を持ち、そこを神聖視した(対自然)
②天皇中心にすると三韓征伐や支配、統治の話が中心になった(対人間)
③どちらも神社に祀られているけど本質的に別物。
古来からのおおらかな日本人性は自然を大切にするあるがままの心。文章研究している間に天皇万歳理論にすり替わっていってしまったのでしょうか。
今も昔も自然を大切に、あるがままに生きていきたいですね笑
|随神道《かんながらのみち》といいますが、自然に沿う生き方がもののあはれ、万葉の古代から続く日本の心かと思います。
ちょっと哲学的でした。でも賀茂真淵も本居宣長も出題されそうです。
答え 3.『馭戒慨言』
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