2018年開成中学校社会①より 近現代史

5月 5, 2023

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

問題です。
下関条約での清国の代表者は?
1.曽国藩2.李鴻章3.周恩来4.張作霖


■甲午農民戦争(東学党の乱)
1894年に反乱が起きます。苦しむ朝鮮民衆が宗教結社東学党の指導下で蜂起。大規模な農民反乱が勃発しました。|全琫準《ぜんほうじゅん》という下級役人がリーダー。
 朝鮮政府は鎮圧不能。また清国にすがります。完全に負の連鎖です。日本は朝鮮出兵を決定しながらも清国に対し即時撤兵を要求。天津条約に基づき2回要求しましたが、清は属領保護を主張。日本軍も続々と出兵し、慌てた閔妃政権は農民軍の提案を受けて全羅道(日本の都道府県名のような行政地域区分)に自治を与えて解決。やればできるじゃん!!なのにむやみに外国を巻き込みまくるのが朝鮮半島政治の特徴です。

 日本は朝鮮に対する「朝鮮の自主独立を侵害」する清軍の撤退と、宗主国・属国関係の条約破棄を申し入れます。これに対して朝鮮政府は「改革は自主的に行う」「乱が収まったので日清両軍の撤兵を要請」と言いましたが、清に「助けて」って言っといて「終わったから帰れ」と言えない。旧来の華夷秩序から脱却できず、改革もできませんでした。
このあと大院君は東学党と連携して清国軍と日本軍を挟み撃ちにしようとしますが、日本軍が撃退。東学党は敗北します。この事件をきっかけに日清は軍隊が衝突する事態となり、日清戦争へと発展していきます。

■日清戦争
壬午軍乱から続く半島情勢。日本軍も清軍も派兵する事態が続き、日清関係が朝鮮半島の権益をめぐる争いが顕在化してきて、戦争に突入しました。

清国:「華夷秩序だと朝鮮は清国の属国なので保護する必要がある」
日本:「いやいや、これから開国して朝鮮は一つの国として自立していくのだから邪魔しないでくださいよ」

という主張がぶつかります。
朝鮮半島と遼東(リャオトン)半島黄海を主戦場として日本は清国と戦います。朝鮮半島はいつも戦場になりますね。ある意味かわいそうです。
これがバッファーステートの置かれた状態です。
(現在は米中関係で衝突し、日本は間に挟まってますね。。。。)

この頃清国も近代化をしないとまずいという意識があり洋務運動を進め、欧米から軍艦を買いました。中国の文化と制度を土台としながら西欧技術を取り入れようという中体西用を進めていました。
 いくら植民地化されていようと大国中国。日本よりも圧倒的に金持ちでした。北洋艦隊を建設し、単純な軍艦数などでは清国の方が上でした。軍事技術を取り入れ華夷秩序を維持しようとしていました。

 洋務運動で軍事改革しましたが、結果的には日本が勝利。戦略的には黄海での艦隊決戦が決定的でした。
中国はお金で大量の軍艦を購入しましたが、練兵が足りなかったのです。自在に艦隊を使いこなす日本軍が上でした。遼東半島の旅順港を占領し、黄海と渤海の制海権を掌握することで清国は戦意喪失しました。
 日本軍は首都北京と天津はいくらでも自由に上陸できる状態となり、丸裸となったからです。これでチェックメイト。

 この裏で重要な動きが1つありました。それは対英外交交渉です。「イギリスさん、中立ですよね?」という確認です。これを確認するため日英通商航海条約を締結してから開戦しました。だってここでイギリスが清国を応援し始めたら、もう圧倒的に不利。日本は勝てません。しかしイギリスは清国の味方をしなかったでしょう。なぜそう言えるのでしょうか?

それが明治維新で日本を世界の戦争に引き込んだイギリスの戦略であり、その前提にはイギリスとロシアが世界中でぶつかり始めた、という前提があったからです。19世紀英露の対立をグレートゲームと言いますが、イギリスはロシアや中国弱体化に日本をぶつけるために極東での協力者が欲しかった。これが明治維新の遠因です。
 日本政府、ちゃんとバランスを考えて詰めていますね。しかし同時に、イギリスが最後の背中を押した、とも言えます。
日本は対外戦争に巻き込まれていきます。

 実は日清以外もロシアとイギリスの船が朝鮮半島付近をうろうろしており、1885年、1886年と2回露朝密約事件が起きています。朝鮮は第3勢力としてロシアを引き込もうとしたんですね。今も変わらぬ以夷制夷(夷をを以て夷を制す)という伝統的政策です。
ぐちゃぐちゃになるからもうやめて!笑

結果的には李鴻章、袁世凱の圧力により成立しませんでした。中国はロシアとモンゴルの取り合いで別のバトルを繰り広げていました。だから北京に近い朝鮮半島を取られるなんてことは避けたいんです。

こうしたロシアの動きの中、イギリスとしては朝鮮半島の近代化を図り、且つロシアに不凍港を渡さないという目的で背中を押したといえます。ロシアは海があっても凍って軍艦が出せない国です。だからどうしても暖かい土地の港が欲しい。そうすればもっと攻められる。しかしそうなると海洋国家イギリスとぶつかってしまいます。イギリスとしては労力をロシアに割きたくないですよね。

下関条約では日本側陸奥宗光外相・伊藤博文、清国側李鴻章との間で日清講和条約が締結され、賠償金2億両(テール)と台湾澎湖諸島遼東半島を割譲されました。陸奥宗光の功績は大きいですね。1894年の日英通商航海条約で不平等条約である領事裁判権の撤廃に成功しました。15か国とも全部撤廃。これはすごい!(現代の日米地位協定はどうやったら外せるのか。。)

日清戦争の歴史的意義は、ここで近代国家と認められて国際的地位が向上したこと、イギリスとの協力関係が築けるようになったことです。
一方で講和要約の後、三国干渉が起こります。
ロシア・フランス・ドイツの三国が日本の遼東半島の放棄を迫りました。

「おいおい日本さんよ。清国に勝ったからって領土取りすぎなんじゃないの?俺らにも分け前よこせよ」
ということですが、ぶっちゃけあんたら関係ないよね?
フランス、ドイツに至ってはいったいどこから湧いて出てきたの?
しかし強大な欧州3国同時に相手するなんて絶対不可能「臥薪嘗胆」という言葉を胸に日本は更なる富国強兵へと励みます。
この頃はもうバチバチのパワーゲームが始まっていました。

画像
下関条約で得た領土

答え 2.李鴻章