2018年開成中学校社会①より 中国の見方①

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

中国の歴史は複雑ですね。ここで当時のことを理解するために、いくつかの指標を入れていきたいと思います。日本がなぜ、どうして、どことどのように連携、アクションしてきたのかを整理する上で重要です。ここ、みんな混乱するんですよ。

■中国の見方 
普通に複雑なんです。中国大陸情勢はプレーヤーも多いし、後日真実は隠されてしまうので迷宮入りの事実も多く、中国は紀元前から羊頭狗肉の国で、プロパガンダをガツンと掲げて事実もウソにするのが得意です。都合悪い人は即処刑。
日本側も功罪両方あるのですが敗戦国なので主張できなかった。そんな情勢です。
しかし中国は歴史の法則性のある国でもあるので、いくつかの切り口があれば見やすくなります。

①群雄割拠の戦国時代
  清朝崩壊から中華人民共和国が成立するまでは軍閥がたくさん出てきます。彼らって何者?と思うかもしれませんが、昔からの軍人もいれば馬賊(盗賊且つ私兵)も発生。誰がどこにつくか、というだけで正義も悪もない世界です。現在通説であるのは中華統一を果たした中華人民共和国の視点のみです。当時はどこが勝つかわからず、一概に評価できるものではありませんでした。

②もともと統一するには広すぎる
 中国大陸は広大で地理環境も異なるため、自然と地域性ができます。また、あまりにも戦乱が多い土地であるため隣にかつての敵が普通に住み込んでいることもあり、言語や文化での境目があります。現在では大軍管区になっていますが、境目の機能を持ちます。こうした地域を治安維持するのは軍部になります。
中国では「軍閥=国」という認識の方が分かりやすいと思います。
 清朝崩壊後、袁世凱率いる北洋軍閥が中央、各地を統治していました。日清戦争の時に北京近くで最新鋭軍備を備えてましたね。彼は辛亥革命で中華民国樹立を支持しつつ、孫文に替わって臨時大総統に就任しました。しかし袁世凱が死ぬと北洋軍閥は地方で分裂し抗争を繰り返し北京政府の政権を狙います。この時に直隷派、安徽派、奉天派などの政府が複数ありました。
 これに対して孫文の中華民国と国民革命軍を引き継いだ蒋介石が北伐を開始。この北伐と日本の関東軍による張作霖爆殺事件(@奉天行き途中列車)で北洋軍閥支配の北京政府がなくなり、蒋介石の国民政府が中華民国唯一の政府になりました。
2020年だとこんな感じです。ついこないだまで7軍管区だったのですが統合されていってます。中国は常に内部統治が全てです。

戦区

③合従連衡(がっしょうれんこう)
 中国の戦争は将棋ではなく囲碁の世界。日本の一騎打ちのような1VS1の戦いではなく四方八方を見ながらの陣取り合戦です。実際は誰がどこと組むか、が重要になります。
当時の構造は、

汪兆銘おうちょうめい―民族主義―日本
蒋介石しょうかいせき―資本主義―英米
毛沢東もうたくとう ―共産主義―ソ連

という構図でした。漢民族政権の樹立が妥当とした民族主義。富裕層に支持された蒋介石。貧しい人民を立ち上がらせた民衆支持を得た毛沢東。主義主張そのものは方法論の違いだけで、どれが正しいというのはありません。
ちなみに共産主義の思想を教えたのもほぼ日本でした。西洋文化を漢字混じりで咀嚼してたので簡単に世界のことが学べると、みんな日本に学びにきていたんです。
神保町の内田書店などで周恩来も学びました。(その後周恩来や鄧小平はフランスに留学に行きます)中華人民共和国初代の政治家も早稲田大学卒業者が多数。中国革命を支持していた内田良平の家は中国人が押し寄せて盛り上がりすぎて家の床が抜けた笑
蒋介石も日本陸軍学校に来ているため、どの勢力も密接に日本と結び付き、そして反目してしまいました。しかしそれぞれの活動の中でそれだけでは語りきれない命を賭けた絆もあるのです。


③民衆の支持を得たのが共産党八路軍だった
  中国革命は孫文が中華民国を立ち上げたところまでは良かったのですが、その後は乗っ取られたり、軍閥の方が強かったり。安定しませんでした。中国は常に抑圧統治するのに、不思議と民衆支持を得られた人が中華統一を果たします。
「水は舟を載せ、又舟を覆す」荀子

中国では民衆支持を得た党が政権を握ります。
蒋介石は残念ながら富裕層には支持されたのですが、中国全土の貧しい人々には支持されませんでした。植民地支配に怒る民衆。帝国主義も資本主義もマッピラだ!となったのでしょう。過去の清朝から縮小する漢民族民族主義も、過去南北朝、五胡十六国、明朝版図を見れば戦略としてはありですが支持が得られなかったので反日抗争に至った。

④日本軍が戦っていたのは蒋介石国民党軍
今の中国共産党の説明では中国全土が日本と戦っていたように流布しています。そんな抗日映画を作り、内政で政治家の立場が悪くなると歴史問題を持ち出してはけ口を外に求める。共産党軍の功績のように語っていますが、実際日本軍が戦っていたのは国民党軍でした。(台湾に行きました)なんといっても軍備の差であり、民間人と軍人の差です。蒋介石率いる国民党軍は軍備があった。おカネがかかりますから貧しいと部隊を作れません。共産党は便衣兵という形式をとりました。簡単にいうとゲリラ兵。民間人と同じ服装で市街地に潜り込み、いきなり後ろから撃ってきます。
これが厄介です。

①市民と見分けがつかない
②疑心暗鬼になり取り締まらざるを得ない。
③「民間人が殺された!」と言える

当時の軍規では、戦争は軍と軍の戦いであって、民間人を殺してはいけないルールです。実際混乱状況ではありますが、軍規がないとめちゃくちゃになります。アメリカの東京大空襲などどこをどうひっくり返しても国際法で裁かれるべき行為です。しかし便衣兵という形態をとれば、自国の民間人を盾にしながら攻撃でき、やられてもプロパガンダに使える。新しい戦い方でしたが、日本軍は大陸内部に誘い込まれつつ、泥沼にはまっていきます。

続く