2018年開成中学校社会①より 近現代史 共産主義の浸透
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
この時代を理解するのに共産主義は欠かせません。
ドイツ人のマルクスが『資本論』を書いてから、100年はみなこの共産主義に捕らわれました。それだけ魅力的だったんですね。結果的にはうまくいかなかったのですが、理想論だけならいい方針なんです。
■共産主義の浸透と反共運動
当時共産主義は驚異でした。ロシア革命を起こしソビエト連邦が成立したこともありますが、当時の王政、皇帝は国民との距離感を変えていかなければなりませんでした。人民の権利を守る。現在では当たり前の民主主義ですが、当時帝国主義が吹き荒れていた時代、力と経済力が全てだった世界では希望のように見えたことでしょう。日本でも共産主義を学ぶ人達は増え、東京大学の講義でも普通に教えられています。大正時代は相当フランクな時代でした。戦前は暗黒時代ではなく、第1次世界大戦でバブリーだった大正時代はフランクで多文化主義の煌びやかな時代でした笑
日本人の中でも共産主義に傾倒していく人と、反共路線を行く人で分かれていきます。共産党は極論を言うと「平和を!」と叫びながらゲバ棒で人の頭を殴っていく暴力革命を容認する思想で、天皇を批判します。伝統、文化、権威、権力を批判し戦争、テロの暴力で権力を奪取する。今も同じで批判のための批判を繰り返します。(みんなのためにではなく、自分たちの権威化のために)
そうなると日本はまとまりがなくなり、国体が失われて行きます。そんな状態はまずい!と思う人もいれば、帝国主義で虐げられた人々を解放するんだ!という理念に燃える人もいました。また、労働者と農民が政治を行ったら国家は機能しなくなる、ということが分かっている人も危機感を持ちました。
みんな平等で豊かになるならば理想的なのですが、残念ながら富の分配構造とコントロールする人がいる限り権力は集中し、富もどこかに偏ります。そして、こうした思想は単純に割り切れるものではありませんでした。
共産主義×アジア主義×軍人×政治家×民族主義×帝国主義×その他宗教
というような属性が、一人の中にぐちゃぐちゃに混ざりこんでいて切り分けることができなかった、というのが当時のリアルな情勢だったと思います。「あの人は●●だ!」と言い切れるほど、人間そんなにシンプルではないですね笑
昨日のイスラムとの関わりについては、共産主義は神と宗教を完全否定するのでイスラム教国にはほとんど広まりませんでした。日本陸軍はそこに目をつけ、モンゴルから中東のイスラム教国と連携を図る、帝国陸軍防共回廊構想を作り上げ、反共の防波堤を築いていきます。
大川周明という思想家が大川塾という勉強会の中で中東スペシャリストを育成しました。現在の日本の学術界でもペルシア文化、アラビア文化の大家は大川塾に源流をたどる事ができます。 大川塾は陸軍から資金をもらって活動しました。東条英機も若かりし頃関わっていました。中国大陸侵略も反対派でした。帝国主義的アプローチでは共産化してしまうし、ソ連の介入を満州で止めれば良いと考えてました。
ベトナムからも日本に学べとドンズー(東遊)運動が起き、ファン・ボイ・チャウなど留学生が来日。他のアジアからも同様でした。日本はアジア・アフリカの期待の星ですね笑
しかし日本もその期待に全力で答えることはできません。ロシアに勝ったとはいえ財政も兵士もボロボロ。力を蓄える必要がありました。それにアジアを独立させたいとしても、じゃあイギリス、フランス、オランダ、ドイツなどを全部一気に敵に回してアジア中に武器を配って反乱を起こさせ、「全ヨーロッパVS日本」みたいな戦争ができるのか、というともちろん不可能です。同盟関係などもあります。
心理的には同情的であっても、「日本から武器をどんどん送るから」ということにはならず、期待には応えられない状況でした。こういう支援を裏でするのがアジア独立派、あるいは日本の共産主義者でした。政府の正式な動向としてはアジア民族からはがっかりされることもあった半面、民間で、個人間でのつながりができました。これらが複雑で有効な外交ルートになっていきます。
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