平成29年度渋幕中学校1次社会②より 貨幣問題② 和同開珎

5月 5, 2023

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貨幣」を通して歴史を眺めてみると、時代の特徴や時代を超えた共通点が見えてきます。律令国家の時代、政府は10種類を超える貨幣を発行しました。しかし、大きな国家(的)プロジェクトを実施する際や、今でいう公務員の給与の支払いが滞りがちな時に貨幣を発行したこともあり、結果として新しい貨幣の発行を重ねるごとにその信用は下がっていきました。鎌倉・室町時代、幕府は貨幣を発行せずに、主に中国からの輸入銭が交換や貯蓄の手段として用いられました。~~(以下省略)
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日本と貨幣の問題。別で土地の問題もやりたいところですが、根幹に関わる重要テーマです。渋谷幕張。超難問ですね。通常の教科書で勉強していたら絶対解けないと思います。しかしこのテーマは日本の、というか世界中の国家の根幹です。ヘゲモニーの一極である「通貨」。リーダーとしては絶対必要な視点です。おカネと言えば簡単ですが、構造を理解するのは抽象度が高く結構難しいと思います。
さて、過去の歴史でどんなことがあったのか、どんな意義があったのかを見ていきましょう。

突然ですが問題です。日本で最初の流通貨幣とされる和同開珎。
これはどこで獲れた何の素材で作られたでしょうか?

■和同開珎
708年和銅元年に、鋳造貨幣として「和同開珎」が作られました。この通貨1文で米2㎏が買えたといわれ、新成人1日分の労働力に相当したとされています。1万円分くらいでしょうか。米買ったら結構食べていけますね笑 現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出したことを記念して、和銅と改元し、通貨も作られたとされています。ただ通貨を作ること自体は前から決まっていたはずで、その素材も見つかっていないと量産検討できないはずなので、きっかけとして宣言しているものと思います。

さて、当時和同開珎はどれくらい流通していたのでしょうか?まだ米や布を基準に物々交換をしていた時代なので、畿内とその周辺以外はほとんど流通していなかったというのが現在の見解です。物理的にも全国流通させられるほどの銅の生産、確保は無理だったので流通量は必然的に絞られます。更に地方財政が一貫して米単位でだったことから、地方流通を進めていなかったと考えられます。通貨自体は全国的に発見されていて、富と権力の象徴・宝物として扱われました。朝鮮半島北部から満州にあった渤海国の遺跡からも発見されています。

答え:秩父で採れた銅