平成29年度渋幕中学校1次社会②より 貨幣問題⑥ 江戸時代の通貨流通

5月 5, 2023

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

今日は江戸時代のお金の仕組みを見てましょう。
問題です。関西で高額取引をするときに使用していたのは貨幣の素材は何でしょうか?

江戸時代は徳川幕府が通貨政策をコントロールしていました。大判小判を用意して商取引を推進していました。商品によって金貨、銀貨、銅で支払いが決まっていて、互いの交換比率が日々変わっていました。銀を作っていたところが今の銀座です。
高額商品を支払う際、関東エリアでは「金」関西エリアでは「銀」を使う独特の風習(関東の金遣い、関西の銀遣い)もありました。江戸時代以前より整理されていますが、それでも呼び名も単位も異なっているので買い物の計算が大変でした。そろばんで通貨単位を計算していたんでしょうね笑
ここで発展したのが両替商でした。両替だけでなく、お金を預かったり、貸し付けたり、遠くに送金したり、銀行の役割を果たしました。有名な両替商には鴻池こうのいけ、三井、住友があります。もともと江戸時代の貨幣は質が高かったのですが、材料の金属が不足すると質を落とした貨幣が作られるようになります。

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伊豆の土肥といという町は現在では漁村くらいしかありませんが、金鉱があったころは大いに栄えていたそうです。佐渡金山に次ぐ産出量。江戸時代のファントムシティー。第二期で明治~昭和にももう一回復興期が来ていますが、今でも金山資料館があります。金鉱を掘った洞窟で金の採掘現場を再現していますが、ものすごく巨大な岩からちょろっとしか金は取れないんですね。誰が見つけてどう発見したのか。。いまだに謎です。
推定産出量は金40t。銀400t。
「日本に資源がなかったから植民地化されなかった」なんて通説は大嘘です。黄金の国ジパングでした。こういうことは統治者はあまりオープンにしたい情報ではないですね。1625年から休山になっていますが、勤まる奉行がいなかったのかもしれません。

答え:銀