平成29年渋幕中学校社会②より 貨幣問題⑪ 徳川吉宗の時代③

5月 5, 2023

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

引き続き吉宗の時代の江戸です。
問題です。小石川植物園の正式名称はなんでしょう?

目安箱から生まれた小石川養生所。場所は現在の文京区小石川植物園です。お医者さんが集まり、町の病人に当たりました。要するに国立病院の設置ですね。はじめは幕府医師が当たっていました。夜間の急病人対応もしていてめちゃ力入れていますね。幕末近くには町医者に切り替わりました。
はじめは無宿者を集めていたので薬の実験させられるのではないか?という噂も立ちましたが、身寄りのない貧民だけでなく看病人も入れたり、医師を増やしたりと工夫しています。貧困者を集めて薬の人体実験。今も高額バイトなどでありますね笑。この頃は幕府の御典医も含めて医者=漢方医でした。蘭方医も次第に力を持ち始める一方、幕末は漢方医が幅を利かせると、医療の質が低下しました。コロナ前後の日本医師会のバトルのように、漢方医の「医学所」、蘭方医の「医学館」の勢力争いもありました。

さて、時代背景から養生所設立を考えてみましょう。これは世界中共通する都市の考察です。養生所が必要になったということは?
貧困者、無宿者が増えたということです。
江戸初期は何もなかった湿地を開拓するため農村から大量に労働者が集まりました。しかし次第に開拓され、町ができ、活気のある都市になりました。仕事もたくさんあったので日銭暮らしでも生きていけました。しかし都市に出てきたものの、貧乏長屋で日銭暮らし。景気が悪くなり仕事がなくなると次第に貧困者へ。都市は人口が過密し、生活環境が悪化すると病気が蔓延します。この状態が深刻になり、養生所が必要になった。要するにスラム形成とその対策なんです。都市、人口増加、経済、食生活、衛生、医療は繋がっています。伝統的な習慣なども生まれますね。

医療については、幕末蘭方医の牛痘論争から変わってきます。杉田玄白をはじめとした蘭方医学は江戸中期から次第に広まっていきますが、幕府の医局までは入り込めませんでした。天然痘をいかに防ぐか。この動きが東京大学医学部の前身であり、明治時代に東京帝国大学に施設は管轄が移ります。現在小石川植物園も正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園です。

手塚治虫のマンガ『陽だまりの樹』は、手塚治虫の蘭方医だったご先祖様が描かれており、幕末歴史×医学を描いた知られざる名作です。