平成29年渋谷幕張中学校社会②より 貨幣問題⑫ 徳川吉宗の時代④ 町火消し
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吉宗の時代が続きますが、貨幣、経済政策と結びついてきます。
問題です。火事の消化で使った江戸時代のポンプの名前は?
次に重要なのが町火消しです。
江戸時代には3年に1回は江戸の大火があったと言われています。世界的に類を見ない火災都市。現在の東京の区部が全焼する火事が頻発しました。文化的な憧れはありますが、火事に打ち首、冤罪処刑。現代は江戸時代より圧倒的にいい社会です笑
火災の原因は人口増加です。人が密集生活しています。当時は畳に障子、木造建築。更に薪で調理し蝋燭、行燈は裸火です。火事はもはや必然。
もう一つは放火です。火事場泥棒目的など、失うものが何もない下層民が火をつけたことが多く記録されています。幕末には治安悪化=幕府の権威低下を示すための放火も増加しています。
防災活動としては、そもそも延焼が多いため、火除地、広小路を作りました。大名屋敷や寺社の移転も起こっています。赤穂浪士の物語で有名な吉良上野介の屋敷も移転後で警備が甘かった、という見方もあります。
町火消は江戸時代の花形職業です。竜吐水という木製ポンプもありましたが大量の水を運ぶことはできなかったため、当時は破壊消防が主力でした。延焼を防ぐため隣の家を破壊し、燃え広がらないようにします。武家で組織された大名火消、町火消などがいましたが享保の改革ではいろは組47組が町火消として組織されました。
いなせでかっこいいモテモテ職業。それが火消しでした。
結果的には、江戸の火事はその後も続きました。武家屋敷を外に移したことで江戸は拡大。密を避けようとしたのですが人口は集まり続けました。広小路も大きな道路の両脇に商売用の小屋が立ち始め、結局以前より危険に。瓦葺や土蔵、塗り屋による不燃化は効果がありましたが、吉宗死去後、財政悪化に伴い推進されなくなっていきました。
答え:竜吐水
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