2019年渋幕中学校1次社会②より 歴史評価見直し問題③ 日中2000年史①
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
本日は日中関係です。2000年のタイムスパンで見てみましょう。
日本と中国は昔から仲が悪いのか?!
現在の日中関係は非常に冷え込んでいます。尖閣諸島や年間900回を超える領空侵犯など見るととても想像がつかないかもしれませんが、2000年のタイムスパンで日中関係を見ると、基本的に良好な時期が長いと言えそうです。
秦の始皇帝が中華統一を果たした後、焚書坑儒を行いました。自分を批判する書物、儒教に厦関する本は燃やし、自分のやり方に従わない儒学者をみんな生埋め。現代ではネット上の情報検閲、香港、ウイグルなどの抵抗勢力の強制労働、投獄、虐殺。現代中国でもあまり変わりません。
儒学者の一人徐福は始皇帝が不老不死を望んでいるのを知っていました。そのため童男童女、百工(技術者)を従え3000人規模の船団で海に出て、日本に辿り着いたという伝説があります。この話はある程度可能な話です。というのは、徐福が目指していたのは蓬莱島という仙人が住む島で、そこに不老不死の秘宝はある、と考えていました。また、山東省から東の海にあると考えられれており、始皇帝は山東省を3回も視察していました。山東省に位置する魯国には、渤海の先にある神仙が住むとされる島で、蓬莱、方丈、瀛州があると考えられていました。地理的には日本を位置しています。
魏晋南北朝時代の487年に瀛州は行政区分を制定しています。
日本を勝手に属国に取り込もうとする今と同じです。
春秋戦国時代の孔子も魯国出身、山東省です。ここでも東の海を越えたところに理想郷の島があることに触れています。鬼神を語らず、と言っていた孔子には珍しい発言でした。
別の時代。『隋書』にも日本の記述があります。中国は伝統的に中華思想を取っており、周辺諸国は文明が行き届かない野蛮な国としていました。東夷南蛮西戎北狄と言います。日本は東夷に当たるので東夷伝の中に出てきます。しかしその中で日本は珍しく大変褒められています。礼節を重んじること、葬儀(中国では葬儀をきちんと行うことを伝統的に大変重視しています)が適切に行われている事などです。
遣唐使などの往来が増えると、具体的な人物交流が始まります。日本は韓半島情勢を見ながら逆に大陸の戦乱虐殺文化に危機感を覚えます。そして百済滅亡直後には海軍を送って唐軍と戦い、大惨敗します。日本初、国家滅亡の危機。大和朝廷は大唐帝国を強く意識しながら、ここから急速に国家建設に乗り出し始めました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません