2019年渋幕中学校1次社会②より 歴史評価見直し問題④ 日中2000年史②
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
昨日の続きです。
日宋貿易などの経済交流を経つつ、鎌倉時代には元寇が起こります。この時の漢民族は被支配民族となっていたので、ある意味日本とは似た立場に置かれていたといえます。
日本は室町時代から荒れ始め、日本海から黄海は倭寇が急増します。海賊ですね。しかし倭寇後期の約70%が中国人、朝鮮人だったそうです。なりすましは昔から、です。
同時に倭寇は海賊ファッション、スタイルだったとも言えそうです。海洋民族は陸の文化と異なるため、領域にとらわれていない人達がいました。「福建省でさらわれて、倭人に育てられ、釜山に常駐していたけれど、裁判結果で生まれの福建省に戻ったのに中国語が話せず苦労した」のような状態です。このころは●●人という定義は現代の考えなのであてはめきれないですね。
日本人・朝鮮人・江南中国人ということを明確に分けられないマージナルな海洋民族がいるということは、国家の論理と別で認識しておいた方がよいです。こうした民族は時に重要な役割を果たします。
清朝末期には日中関係はむしろ良好だったといえるでしょう。日清戦争はあったものの、中国革命を支援していた日本人がたくさんいました。お金も人も、命も掛けていました。また、ヨーロッパの文物、思想が全部日本語で変換されていた。そうすると漢字が読めるので大半は日本で近代思想、技術、経済などを学んでいました。現代中国語の大半は日本から学んだ漢字からできています。中体西用という、中国の思想は変わらず西洋技術を取り入れる活動は失敗し、同じことをしていたのに運用面で優れていた日本から学ぼうとしたのでした。玄洋社や黒龍会は孫文を匿い、柴垣隆など地方の素封家は金銭面で支援しました。宮崎滔天もですね。黒龍会の内田良平の家は、中国独立支援で熱狂する中国人が押し寄せて家の床が抜けたそうです。大人気!笑
魯迅、周恩来、胡適をはじめ、錚々たるメンバーが日本留学組、共産党第一世代で政治家になった人物も多くが早稲田大学留学組でした。
現在の日中関係の多くは、帝国主義時代での摩擦と、それを延々と不毛に繰り返し続ける現在の共産党帝国主義による影響が大きいと言えます。
日中2000年史を見ると良好な時代の方が長く、不安定なのはここ約10年です。中央の戦略次第ですね。
中国は好き嫌いに関わらず、エリートは必ずチャイナウォッチングをする必要があります。戦乱は常に大陸からやってきます。
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