地震で変わった日本史 天正大地震② 徳川幕府を生んだ大地震

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天正十三年(1585)11月29日、中部地方を大地震が襲いました。 西暦1586年1月8日です。 真冬に起きた大地震は現在の愛知県、岐阜県、三重県、富山県、滋賀県、福井県、石川県、京都府、奈良県に 甚大な被害を及ぼしました。

徳川家康は、天正大地震のお陰で命拾いしました。(ガチです)

地震の3年前から見てみましょう。
1582年6月 本能寺の変
織田信長が重臣明智光秀の謀反によって殺されます。信長死後、羽柴秀吉が光秀を討伐。 織田家の不幸は信長と同時に後継者であった嫡男信忠も光秀に討たれたことでした。結果後継者争いが生じます。 信長によって天下統一が進み、朝廷も信長を公儀と認めていましたから、 織田家の当主を継ぐことは天下人を継ぐことになり、自ずと後継者争いが激化しました。

そんな思惑渦巻く後継者選びで秀吉が主導権を握ります。 信忠の息子、信長の孫であるわずか三歳の三法師(さんぼうし)を後継者に担ぎ上げました。