地震で変わった日本史 東京が変わった 関東大震災①

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

今回は関東大震災です。時代はググっと変わって大正時代。
阪神淡路大震災、東日本大震災が起きるまで大地震と言えば関東大震災がイメージされました。関東大震災の被害状況を振り返りましょう。

 大正十二年(1923)九月一日、午前十一時五十八分、お昼時を襲った大地震は折からの強風も災いし、 大規模火災を起こします。約10万5000人の死者、行方不明者の内9万1000人が焼死者でした。 残り1万4000人人が圧死、倒壊家屋12万8000余り、焼失家屋は44万7000を数えました。 特に悲惨だったのは、現在の両国国技館、江戸東京博物館が建つ一帯です。当時は陸軍用被服廠跡地で起きた火災です。2万坪の空き地を避難場所とした44,000人が強風に煽られた炎に呑み込まれました。浅草のシンボルであった12階建ての凌曇閣は8階以上が崩落しました。 もちろん東京ばかりではなく、神奈川県も甚大な被害を受けます。 火災、建物倒壊に加え、津波が海岸沿いの町や村を襲いました。

 東京は壊滅状態。帝都東京を復興させるべく、 「帝都復興院」が設置され内務大臣後藤新平が初代総裁に就任します。 後藤は災害に強い街づくりを計画し、直ぐに実行に移していきます。
広い道路と公園を備えた都市造りを構想、 復興予算として国家予算の2年分に相当する30億円を閣議に提出しました。 震災後、東京は生まれ変わります。

そんな新生東京創りに後藤と共に貢献したのが東急グループの創設者五島慶太。この2人の「ごとう」が東京を復活させていきます。