地震で変わった日本史 関東大震災②
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
関東大震災。本当にひどい被害でした。当時七輪を使って火を起こしていたので地震以上に大火事の被害も甚大でした。
後藤新平の壮大なる帝都復興計画は全てが受け入れられたわけではなく、 道幅の広い道路を建設するための用地取得は、地主たちの猛反対で規模を縮小せざるを得ませんでした。後藤新平が計画した予算30億円は4億5000万円にまで削られます。
めちゃくちゃ削減です。▲85%削減。当時の金持ちは復旧させる気があったのか、と言いたいところですが、本人達も被害を被っている中資産が大削減、というのもなかなか厳しいですね。
このような環境でも、東京は復興へ向け歩み始めました。
しかし大震災について、これは堕落した国民への天罰だと評する人達が現れました。 大正時代の日本はヨーロッパに流行したロマン主義の影響を受けました。 生活様式が西洋式になり、庶民も和服から洋服に。 女性の髪形も日本髪から洋髪へ変わりました。洋食、洋菓子が普通に食べられ、活動写真(映画)が大人気。印刷技術も発達しました。だいぶ現代スタイルになりましたね。
印刷技術の発達は企業の広告ポスターを産みだしました。広告も現代的になってきました。関東大震災の前年、1922年には洋酒メーカー寿屋(現サントリー)の広告に 日本初の女性のヌードが出現。大正ロマンと称される都市文化が活況を呈した風潮を苦々しく思っていた識者にすれば、 帝都を直撃した大震災は天罰に思えたのでしょう。
背景には日清、日露戦争に勝ち、ヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦には勝利者となった連合国側に立って日本の国力は馬苦闘していました。大正ロマン。この時代日本は日の出の勢いでした。
中国山東省にあったドイツ権益をGET。
南洋諸島のドイツ委任統治権もGET。
バブって調子に乗っていた時代でした。
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