地震で変わった日本史 元禄宝永大地震①

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

今日の地震は忠臣蔵の時代です。昔は年末になると6時間時代劇などで放映していたのですが、最近年末に時代劇を見ることが少なくなった気がします。さみしいですね。長編だから結構質の良い映画が作れていました。

忠臣蔵のクライマックス、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの場面。 大石内蔵助山鹿流の兵学を学び、陣太鼓を打ち鳴らして浪士たちの指揮を執りました。 白雪が深々と降り積もる師走の寒夜、四十七士は主君浅野内匠頭の仇、吉良上野介を探します。

こんな時代背景です。

赤穂浪士の討ち入りのおよそ1年後、江戸ばかりか関東の夜空を震撼させる大地震が起きました。 元禄十六年(1703)11月23日、新暦にして12月31日の午前2時頃、相模トラフを震源とする 推定マグニチュード7.9~8.5という大震災でした。 迷信深い江戸の庶民に中には、その年の2月に切腹させられた赤穂浪士の祟りだと囃し立てる者もいました。

 被害状況は後述するとしまして、徳川幕府は大地震による人心の荒廃を刷新しようと朝廷に改元を奏請します。 結果、元禄から宝永に元号が改まります。

ところが、皮肉にも元禄関東大地震の僅か四年後、宝永四年(1707)十月四日、新暦にして十月二十八日、 推定マグニチュード8.4~8.6という超巨大地震が日本を襲い、更には四十九日後、富士山が大噴火しました。

江戸時代、凄まじいですね。。
確かに戦争はなくて天下泰平だった、と言えますが、こんなに自然災害が連発していたら人々の相当大変です。

地震シリーズでやっていますが、飢饉など含めると昔のご先祖様たちは本当に苦労しながら時代を繋いできてくれています。