地震で変わった日本史 元禄宝永大地震③

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

いやー、地震すごいですね。
みんな忘れているだけです。歴史的にはすごい地震が何回も来ています。
元禄関東地震の被害状況について引き続き見てみましょう。

 最大の被害が記録されているのは小田原でした。 8,000戸の家屋が倒壊し、小田原宿に在住する男女、2,300人が死亡、旅人となると犠牲者数を把握できていません。大火も起き、小田原城や数知れない人家、寺社が倒壊し、焼失しました。 小田原から箱根までの街道は大石が転がって人馬の往来が出来なくなったそうです。
交通網もズタズタ。

地震発生全域での犠牲者数は少なく見積もって6,700人、伝聞、噂などを信じれば15万人にも上ります。 倒壊、焼失家屋は8,000を超えるとか。幅がありすぎですが、もう未曽有の大混乱です。当時は祈る事以外なすすべもなかったことでしょう。

 このような大惨事を受け、幕府は諸大名に金を貸し出して復旧に努める一方、人心を刷新しようと朝廷に改元を奏請しました。 元禄は地震が起きた翌17年を以って宝永に改元されます。 地震のない平穏な世への願いが込められての改元でしたが、願いは聞き届けられませんでした。

 まるで改元がきっかけとなったように全国で地震が続きます。

改元早々の宝永元年(1704)の4月には陸奥、羽後で推定マグニチュード7の地震が発生、 58人の死者が出たばかりか崩山が山崩れを起こし、川が塞き止められて十二湖が誕生しました。 一年後には九州の阿蘇山付近での地震が記録されています。

 そして、宝永大地震です。

 宝永四年(1707)10月4日、新暦の10月28日に東海道沖から南海道沖、 すなわち南海トラフ全域を震源とする推定マグニチュード8.4~8.6の大地震が発生しました。 元禄関東地震を凌駕する超巨大地震です。

言ってはなんですが、もう祭りのようにドッカンドッカン災害ラッシュ。地震に次ぐ地震。火山は噴火。山崩れで崩落。街道はズタズタ。もうどうしようもありません。こんな危機を、まるで不死鳥の如く何回も乗り越えてきたのでした。。