地震で変わった日本史 安政大地震①
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
江戸時代に戻ってみましょう。
幕末の安政二年(1855)10月2日午後10時頃、推定震度6の大地震が江戸を襲いました。 町人地では、5,000人近い死者と14,000を超える家屋が倒壊。江戸は壊滅的な被害を受けました。
しかし地域差があり、本所、深川、浅草、日比谷といった地盤の弱い埋立て地で大きな被害をもたらしました。また、上記犠牲者と倒壊家屋の数は町奉行所の調査ですので、武家地、寺社地の被害状況は反映されていません。実際は記録よりも被害は大きかったかもしれません。
江戸時代は参勤交代により全国の大名と家臣が江戸で生活していました。 彼らが住む藩邸と江戸城をはじめとする将軍の住まい、幕府の施設、 そして幕臣たちの屋敷を併せた武家地は江戸の70%を占めていました。 残り30%の内、15%が寺社地、町人が暮らす町人地も15%程度です。江戸は人口100万を超える世界有数の大都市でした。
しかし、100万の内50万は江戸勤番の侍を含む武士でした。
つまり、武士と同程度の町人は江戸の15%程度の町人地で暮らしていました。密です。
裕福な大商人以外の多くの町人は貧乏長屋住まい。
狭い居住空間が被害を大きくしました。「火事と喧嘩は江戸の華」、と言われました。火消しが大活躍だったのですが、彼らの消火活動は破壊消火でした。
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