地震で変わった日本史 戦時中の大震災③
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
ソ連領に侵攻したドイツ国防軍は破竹の快進撃を続け、首都モスクワに迫りました。このころ世界はドイツの快進撃を見ていました。
世界中がソ連の危機、ヒトラーの勝利を疑わない情勢下、日米関係は悪化の一途を辿ります。 中国からの撤退を求めるアメリカは要求を呑まない日本への制裁措置として石油の輸出を禁止しました。 当時、日本は国内で消費される石油の9割をアメリカに依存していました。 追いつめられた日本はインドネシアの油田奪取を念頭にアメリカ、イギリスとの開戦に踏み切ります。 決断の背景には同盟国ドイツの対ソ戦勝利の期待がありました。
ところが、日本が米英と開戦した頃、ドイツ国防軍は冬将軍に阻まれ、モスクワの手前でストップ、 短期決戦でソ連を倒すというヒトラーの計画は頓挫しました。ソ連が最強なのは冬の雪なんですね。ナポレオンの時も冬将軍に守られ、フランスもドイツもロシアを攻略することはできませんでした。
ドイツの進撃が止まったことは不安要素でしたが日本は連戦連勝、南方の資源確保を達成して国民も沸き立ちます。 しかし、長続きはせず、真珠湾攻撃から半年後、ミッドウェー海戦で大敗、続いてガタルカナルでも撤退を余儀なくされます。 ガタルカナル撤退直後の3月、鳥取地震の前兆と言える大きな揺れが起きました。 ガタルカナルでの敗北とは関係ありませんが、不吉な地震となります。
鳥取地震が発生したのは、この半年後の9月10日でした。 B29による本土空襲は始まっていませんでしたが、太平洋の島々では激闘が繰り返され、 反撃体制を調えたアメリカの圧倒的物量と効率的な作戦で日本は敗北を重ねていました。
アメリカが宣伝していた地震兵器。もう今はできているかもしれませんね。
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