平成28開成中社会①より 関東の歴史④ 自然災害
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問題です。
江戸時代の定義で東京の下町に該当するのは、現在の何区でしょうか。
花のお江戸は八百八町。いろんな町がありますが、時代を経て町人町は郊外へと広がっていきました。火事があって焼け野原になり、建て直すたびに密を避けて郊外化していったんですね。
人口が増えると必要になるのが都市計画(増える前か笑)と災害対策。
都市機能が集積すると、逆に自然が少なくなります。必然的に食料などは郊外から運ばなければなりません。物流が途絶えると食料すらなくなるのが都会です。逆に政治の中心、大学など情報が集積し、文化施設も多く作られます。人口が集積しているからこそのメリットですね。
デメリットは先ほどの食料問題が第一ですが、他にも感染症の拡大しやすさ、火事や災害での大量死などがあります。過去にも江戸時代の大火、関東大震災、戦争などでたびたび大量死が発生しています。都市の宿命ですね。
人間は山地よりも水のある海岸沿い、平地に住み集中します。日本の海水面が5m上がると日本の資産の70%が水没する、と言われています。
とんでもない被害、そんなことになったら日本は崩壊しますが、どうしても平野に住み、土地、財産が集積するのも致し方ないですね。便利ですから。
家を買うときは、●●台という地名が良いそうです。
●谷、●川は推して知るべし。。。。
ハザードマップを見るときに、標高や地形、川の位置は注意してみましょうね!
ちなみに「下町」というのはもともと御城下町(おしろしたまち)からきた言葉で江戸時代に成立しています。ダウンタウンの和訳でもないですし、本来的には高低差とは関係がありません。町人町から見て神田川の外堀より西南を山の手と呼んだことから、対比として下町になりました。江戸時代当初は現在の神田、日本橋近辺を指していました。日本橋は当時は魚市場ですね笑
明治以降に武家屋敷だった場所がどんどん街に。水の便の良いところに工場ができて下層の人々が住み着きました。浅草、深川などです。
下町というのはもともと江戸時代の地域呼称のため、正確に少なくても江戸府内でないとしっくりきません。江戸府内~旧東京市内という戦前の東京市15区の範囲が妥当と思います。そうなってくると意外と「下町」というのは現在の中心部で、中央通りの万世橋秋葉原周辺から新橋・芝、外堀通りから墨田川と浅草橋から浅草までが該当しそうです。
地理的高低差と社会的な下町には関連性が薄く、
現代の定義ともズレがあります。
江戸時代、明治、戦後の東京の郊外化の発展段階を覚えておくと判断しやすいと思います。
答え:中央区・港区、千代田区、台東区、墨田区、江東区
※荒川区、葛飾区、江戸川区は近年まで郡部で東京ではなかったので「下町」には入りません。
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