平成28開成中社会①より 関東の歴史⑯ 諏訪と北条氏2

5月 3, 2023

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信州から見る源氏、北条氏との関わり。
陰で戦争の行方をコントロールする勢力だったという位置づけは面白いですね。軍神の武士団。

神社の家系を社家しゃけと言いますが、武家と社家が交互に入れ替わったりします。

諏訪では大祝が武士団を持ち、派遣していました。後三年の役以降源氏をサポートし続けます。諏訪武士団の活躍が目覚ましかったため、関東の武士からは軍神という位置づけに変わってきました。世界中どこでも山岳民族、強いですね笑

当時の戦争では馬が極めて重要です。諏訪では軍馬を育てていたので、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが東北遠征に行った際も軍馬を供給し、源頼朝の時もサポート。そして自ら諏訪を出て戦いに行きました。

しかしこの大祝、まがりなりにも神なので、厳しい制約の中に生きていました。諏訪から一歩も離れてはならないという制約のもとに生きていたのですが、この規約を破ったがために次の大祝は3日で頓死。次の大祝も7日で頓死。正体不明に死んでいきます。神の怒り炸裂!でしょうか。その次からやっと安定的に大祝を務めることができました。

源頼朝も諏訪を所領とし、保護します。諏訪氏が御家人となり社家&武家が一体化して統治し続けました。この流れは鎌倉幕府の北条氏にも引き継がれ、諏訪信仰が厚く保護されます。

蒙古来襲の時も諏訪の龍神様が台風を起こしたと言われ、モンゴル軍の生き残りが朝鮮半島に帰った後に、朝鮮半島にも諏訪神社が祀られたといわれています。

鎌倉時代には御射山祭みさやままつりというのがあり、武士が山で競って弓の腕を競う祭りが行われました。出店や遊郭も短期間にできていたようであり、年1回全国御家人が集まって行う大運動会のようなスポットでした。山国なのにかなり栄えていますね。

世情に合わせてその立ち位置を大きく変える融通無碍な神様&神社ですがある意味日本的ですね。ニーズに応え続ける笑
北条氏の鎌倉幕府統治の裏には諏訪の神様が一役買っていました。