平成28開成中社会①より 関東の歴史⑰ 山から海への産業

5月 3, 2023

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

今日は別の角度から歴史を見てみましょう。
地理環境と自然を踏まえた産業です。開成中の試験で出ましたが、教科書には載っていないでしょう。でも素材を繋ぎ合わせて考えられれば正解できる問題です。

人の住む地域は自然環境がはじめに優先されます。砂漠のど真ん中に住めないですからね。逆に辺鄙なところやなんでこんなところに?というところは別の意味や産業があると見た方が良いです。

日本の場合は海や川はある意味水があるのでわかりやすいと思いますが、山と道が分かりにくいかと思います。

今日は山の文化についてです。

歴史的には日本人の祖先は山がちな地形にも多く住んできました。それは山は自然の宝庫だからです。縄文時代にはむしろ山側にも多く遺跡が出てきます。山と言っても盆地もありますし、川や湖もあるので、自然環境的にはどこでも恵まれていますね。

しかし平面の地図で見ると、隔絶されているように思います。なぜこんな山奥に?とおもうでしょう。人里と隔絶されているようにも思うかもしれませんが、実際はそうではありません。

まず、山は川で海と繋がっています。その意味で川沿いに歩いていけば、歩けない場所もありますが海に出れます。海では魚が取れますが、山でも山菜や木の実、果物、鹿、猪など山の恵みが豊富です。
しかし、山では1つだけ手に入らないものがあります。

それはです。

海外であれば山でも岩塩があるところがありますが、日本では山地が限られます。一部温泉地で作っているところがありますが、成分が温泉によって異なるため、どこでもできるわけではありません。福島県の会津磐梯山、甲斐駒ケ岳、長野県下伊那などは江戸時代に山塩が生産されていました。それ以外は海から仕入れるしかありません。塩が作れると言っても、人が必要とする分量を維持するにはやはり足りなかったでしょう。

戦国時代に武田信玄が北条氏から塩を止められてしまいました。武田氏の本拠地甲斐国かいのくには今の山梨県ですが、今も海なし県ですね。海がないと領民に必要な分だけの塩分は手に入らなかったんです。ライバルである上杉謙信が「塩で戦うにあらず」と越後から塩を届けてくれました。「敵に塩を送る」ということわざの由来です。

山の幸、猪も鹿も、塩がないとおいしくないですね笑
こうして海と山が繋がる道ができます。塩の道です。

もう一つ。こちらの方が頻度が高いのですが、昔は燃料として炭が必要でした。軽量で火が付きやすく、長く燃焼する。冬に暖を取るにも煮炊きするにも必要でした。
つまり、山はエネルギー生産の場であり、炭焼きが里に炭を売りに行きました。ここで山と里の交流が生まれます。
里からコメと野菜を、山から炭や肉、山菜を交換します。山では魚は手に入りにくいですが、川があればイワナなどの川魚が手に入ります。それ以外は海からの干物になります。

自然環境の制約はありますが、人の社会と必要な物資で産業が繋がっています。東北地方や信州長野、岐阜など山深い土地もありますが、日本は意外と海と山がすぐ近くにある地形も多いです。瀬戸内海や四国、九州も比較的海と山が両方見える地形ですし、千葉も山というほどの高さの山はないですが海と山里が両方ある地形です。人為を加えず自然の恵みだけを受けようとすると里はあまり機能するところではなく、農業が始まって初めて村が開拓していったのでした。