開成中対応 東京問題③ 新橋

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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本日は学生はなじみがない街かと思います。
近くの銀座にはたまに行くこともあるかもしれない新橋です。サラリーマンの聖地笑

江戸時代にはこの一帯は大名屋敷でした。日比谷あたりからもともと海だったこともあり、あまりいい土地ではなかったのですが、江戸時代にしっかりと地盤が定着しましたね(とはいえ埋め立て地なんですよね。江戸以前まで戻ると東京は本当に埋立地が多い)

近くの汐留には仙台藩の上屋敷がありました。今は電通、パナソニック、共同通信、資生堂などの大企業ビルが乱立しています。広くて何もないから開発できたとも言えます。

さて、新橋は明治以降に別の発展をしていきます。大名屋敷が更地になりましたが、近くには銀座、京橋、日本橋と繁華街が続きます。

明治5年に日本初の鉄道が完成します。それは横浜―新橋間を移動する蒸気機関車でした。

さて、問題です。考えてみましょう。
●どこに向かうのか?
●どうやって線路用地を確保するのか?
●そもそもなんで必要なのか?

いくつかポイントがあります。
始点は横浜です。

①横浜は何もない漁村でしたが、横浜港を開港したことで海外からの貿易が始まりました。そのため横浜を往復する陸上輸送が必要となりました。海外貿易が始まり、輸出入両方の意味で必要になります。

②海外から繋がる道ですが、江戸時代に既に東海道などの街道は埋まっていました。周りに家が立ち並び、鉄道を敷く場所がありませんでした。そのためウルトラCの解決策を考えました。なんと海の上に鉄道を敷きました(!!)
城の石垣を作る技術で海上に鉄道路線を敷きました。そんな技術があったなんて日本の土木技術、驚きですね。

③江戸のどこを終点とするか?
 もっとどこでもいい気がしますが、東京の西側は実は高台になっています。そのため鉄道が高低差を超えて登る必要が出てしまいます。それは当時の技術では難易度が高いことでした。
 また、東京の中にも線路と役を作る敷地が必要でした。これは前述の大名屋敷跡を利用しました。
低い土地、敷地があり元大名屋敷跡、繁華街に繋がる。。
一部山を切り通すことが必要ですが、必然的に新橋に落ち着いたのでした。