開成中対応 東京問題⑤ お台場

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

本日はお台場。歴旅は学生の時にお台場に住んでいました。
今でこそ住むところが増えましたが、2000年初めは何にもありませんでした。ヴィーナスフォートとホテルくらい。日航ホテルも今はヒルトンに。海外から来た官僚留学生のお迎えをしておりました。懐かしい。

この台場という地名、わりと最近です。地形を見るとわかるのですが、かなり四角い。もともと江東区と港区沿岸は埋め立て地なのですが、この辺りは最新埋め立て地。お台場の地名ができたときは江戸時代でした。
ペリーの黒船が来た時に、東京湾を守るために海に向けて大砲が設置されました。そのための土台が台場です。

問題です。この時お台場での海防政策を提案し、取り仕切った人物は誰でしょうか。
伊豆韮山代官をしていた江川英龍えがわひでたつという人物です。
彼は西欧の脅威に対して技術で追いつこうと考え、様々なアイディアを出し、実行していた人物です。
世界遺産となった韮山反射炉も彼が作成。
輻射熱ふくしゃねつで高温にすることで製鉄できる反射炉を作りました。
そして海防策を幕府に訴え、江戸の海に大砲を設置し欧州列強の侵略に備えたのでした。
西洋砲術を教える「江川塾」も開き、大鳥圭介、佐久間象山、橋本佐内、桂小五郎など錚々たるメンバーが学んでいます。
伊豆の田舎に居ながらにしてこの見識。
さらに剣の腕も立ち、蘭学、砲術も習得。
学問とは何か?役に立つ知性とは何かを考えさせられますね。

明治維新によって急に文明開化となった印象ですが、正直17世紀から蘭学はかなり学ばれており、産業革命前までは日本も平賀源内が電気を起こしたり、医学もかなり試行錯誤で学んでいたため自然科学分野でもそれほど遅れていませんでした。

幕末においても小栗上野介おぐりこうずけのすけをはじめ幕臣が下地を敷いています。江川英龍もそうした優秀な幕府の役人の一人ですね。

答え:江川英龍