2018年豊島岡中学校第2回社会より 遣唐使② 中国の本質「中華=世界」

どうも。歴旅です。
今日もぶらりと歴史旅。

中国の本質、続きです。

■中国の本質③ 征服王朝説
 これは昔ウィットフォーゲルというドイツ人が提唱した説です。
何か、というと、

「中国歴代王朝って、ほとんど異民族が征服してできた王朝で、漢民族王朝ほとんどないよね」
という、中国人が聞いたらブチ切れそうな説ですね。
でも結構本質だと思います。実際遊牧民族王朝が多い。

唐の前の隋もそうですが、隋唐王朝はツングース系遊牧民族が打ち立てた国家です。
秦も地理的には西方遊牧民族。近い時代の清朝もツングース系満州民族が打ち立てた国家。
ツングース強いですね笑

漢民族王朝と言えるのは漢・宋・明くらいでしょうか。
しかし漢は実は他の中華王朝と比べるとかなり領土が小さいです。
北から攻めてくる匈奴に怯え、戦いまくりながらも結局ほとんど勝ててません。
「敗北」という単語がありますが、「北る(にげる)」という意味です。負けて逃げる。この頃できた単語です。
(中学高校の国語で漢文やっておくとよいです。中国、朝鮮、日本の歴史原文が読めて、大学以降現代中国語もすぐ覚えられて、且つ古典が分かると尊敬されます)

次に宋は珍しく漢民族王朝でした。貿易で栄え、文化的に最盛期ともいえるのではないでしょうか。科挙など現代の受験に繋がる仕組みを作るなど、社会システムを構築した安定した社会でした。その後また遊牧民族に押されて南下し、最後はモンゴルが攻めてきた。中国完全に全土支配されます。外国人を徴用しまくって漢人は下層民に。この頃作られた朱子学というのは愛国心を強めるものの、ちょっとねじ曲がってますね。しかしこうした理論的背景をもとに元朝を滅ぼします。

モンゴルの元朝を倒して作った明。これも漢民族王朝と言われますが、ちょっと怪しいです。

3代皇帝永楽帝の時にはなぜか北京に遷都。遊牧民族が敵ならすぐ襲ってこれそうな草原の北京に首都は置きません。北京のちょっと北にある万里の長城。遊牧民族に対する防波堤として紀元前にできたのにほとんど役に立っていない。遊牧民族に突破されすぎです。
永楽帝は母方が遊牧民族だったという説がありますが、割と妥当だと思います。そうでなかったら国境に当たる北京にはリスキーすぎていかないですから。

もともとの中華世界は漢民族の思想だったかもしれませんが、彼らは五胡十六国時代を中心に、死に物狂いで胡漢融合を果たします(果たそうとしました)。この説明は大変なので、世界史編でやりたいです笑 ここも超重要なのですが長くなるのでまた今度。多くの戦乱と虐殺文化を経て、良くも悪くも生き延びるための中華思想を確立していきます。

■中国の本質④ 羈縻政策
 先の「中華」の逆ですが、周辺民族に対しては羈縻政策(きびせいさく)を取ってきました。これは何かというと、「朝貢したら地元統治していいよ。特産品持ってきたら宝物もいろいろあげるよ。だから体裁の上では中国の臣下だからね」というものです。

これはなかなか複雑、且つ狡猾な政策です。
先ほどの遊牧民族との関係もありますが、基本的に農耕民族である漢民族は毎回負けて支配されています。しかし文化、言語、富の蓄積などによって篭絡し続け、あらゆる遊牧民族皇帝、貴族は漢化していきます。中国の音楽を聴き、中国語を話し、漢字を読み書きし、中華料理に舌鼓を打つ。
結果、「3代経てば中国人になっちゃう」。草原で走り回っていたことは忘れます。うまいもの食えるし、金持ちになったしもう戦うのやだよねってなります。

 60~90年ほどかけて長い時間かけて籠絡し、そして一気に牙を剥きます。やられたことをそのままやり返すんですね。最終的には虐殺か文化的同化によって民族を消滅させます。昔は遊牧民族は草原世界に逃げていきましたが、今は逃げるところがなくなってしまいました。

 これは相手が強くてもじっくりずっと裏でやっている政策でした。大唐帝国の末期、実はチベットの民族がかなり強かったのです。遣唐使が長安に行ってた頃ですね。当時は吐蕃(とばん)と呼びましたが、首都長安が2週間とは言え陥落、支配されています。それくらい強かった。
 強いので、貢物を要求します。要するに、
「中国はリッチなんだから金銀財宝を毎回持って来いよ。そしたら許してやる。オラオラ!」
ということです。その時に言います。
「仰せのままに毎年金銀財宝、絹織物など何でも持っていきますよ。でもうちは中華っていう偉い文化を持った国なんで、臣下になってくださいね。そしたらなんでもあげますよ。いや、形だけですよ。形だけ。。」
なんて言いながら、じゃあええわ、と思って調印してしまいます。

それを何百年と使い倒すんですね。
相手が弱り切った時に。
そうすると「あそこは昔から朝貢国だった。臣下だった」となる訳です。 何百年も経てばチベットがそんなに強かったなんて自国民すら忘れますから。歴史を知る者は一部だけです。

実にかしこいですね。というか、100年スパンの外交政策は平気で考えている国です。だからそれを受け継ぐ教育もしているし、本質が分かっているんですね。日本は春夏秋冬、春がきたらだいたい忘れます笑
 遊牧民族や某周辺諸国のリーダーはこの辺りを分かっていないと、目の前の事象としては、だいたいビジネスしながら経済的メリットで篭絡されて行きます。
そして浮かれている間に軍事的に弱体化していき、最後は侵略皆殺し。
これが中国の歴史的パターンです。

■中国の本質⑤ 全部中華
 これまで遊牧民族や周辺諸国の政策を書いてきましたが、要するに本質は「全部中華や!」という自民族中心思想です。

 例えば、四神ってありますね。
朱雀、青龍、玄武、白虎
お寺とか神社で売ってるアレです笑
あれは昔は大陸内の別々の民族のトーテムだったんです。
火の鳥を祀っていた農耕狩猟民族がいた。
龍を祀っていた遊牧民族がいた。(中国の龍は馬です)
同じように蛇、亀を祀る水の祭祀の民族がいた。
虎を崇める熱帯草原の民族がいた。

それらを全部征服し、且つ全部の文化をまとめて「これが中華や!」とまとめたのが、神社やお寺で売ってるアレです笑

ここには大変悲しい歴史があるのですが、ある意味世界観を表しており、同時にそれを支配する中華も表しています。

要するにパクっても何も気にしないし悪いと思わない。取り込みまくったもん勝ち。他民族に対する尊重というのは、中華思想と対極にあります。そして取り込んだ全てが中華。
それを理解した上で付き合う必要があります。
言っときますが、仲いい人、いい人もめっちゃいますよ。これらは普遍的な国家の動きとして、です。

そこからの〜遣唐使です。
国としても未成熟な日本は、圧倒的大国の大唐帝国とどのように付き合ったのでしょうか。
超大変そうな任務ですね。

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Posted by rekitabipapa