平成25年桜蔭中社会②より 修学旅行問題② 東北エリア
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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修学旅行先で有名なのは奥州藤原氏の中尊寺金色堂でしょう。
奥州藤原氏は平安時代末期に東北地方で勢力を持った一族です。
前九年の役、後三年の役の後から源頼朝に滅ぼされるまでの間一大勢力を誇りました。この時代、ぶっちゃけ東北は独立していましたね。
今も昔もなのですが、東北地方は朝廷や京都から追われた勢力が逃げ込む駆け込み寺でした。人によっては朝廷、関東から引き離されて封じ込められた面もあります。
崇峻天皇の息子蜂子皇子は蘇我馬子に崇峻天皇が殺されたため聖徳太子に匿われて東北に脱出。現在の山形県で羽黒山に上り出羽三山信仰を切り開きます。
源義経も平清盛に殺されかけていたのを幼少だったため京都の鞍馬寺に預けられ、その後奥州藤原氏を頼ってそこで立派な若武者になります。
丹羽長秀は豊臣秀吉の重臣でしたが、福島県二本松藩に落ち着きます。
今は日本酒「奥の松」が有名になってきました笑
真田幸村(信繁)の子孫も、長男は大坂夏の陣で共になくなりますが、次男坊が仙台藩伊達家を頼って現在の宮城県に逃れています。伊達政宗も、何かあれば徳川政権をひっくり返す気だった動きが見れます。(趨勢が落ち着いてからは逆に徳川家密着ですが)
東北は大和朝廷から侵略された蝦夷の土地だからか、あるいはもともとの心性なのか仏教王国の側面があります。奥州藤原氏も仏教による統一を進めました。また、空海と共に旅をし、戦争の続いた奥州の民衆のために歩いた徳一。かれは天台宗最澄と手紙で長い仏教論争をしていて平安仏教最大の資料を残しています。空海と最澄しか有名ではないですが、徳一はそれと匹敵する坊さんでした。他にも西行が全国を行脚していますね。
時代は下って宮沢賢治。東北は不思議と文学者と詩人、歌手を輩出します。日本人の心に訴えかける言葉を生み出すのが得意なのでしょう。
寺山修司も「書を捨てよ 町へ出よう」で有名です。昭和の詩人でアングラ演劇を公演し、彼の周りにハイティーンの子供達がたくさん集まりました。
伝統工芸品などもたくさんあるのですが、青森県では津軽三味線。
最近の漫画では『ましろのおと』がありますね。津軽三味線がテーマの漫画です。『けいおん』など一時期から音楽テーマの漫画が増えましたね。(事件のあった京都アニメーションの皆様に合掌。。)日本の無形伝統文化を有形文化に落とし込む活動はすごいと思います。
最後に青森県はアイヌ交易。津軽藩が独占販売権を持っていました。「東北は貧しい」というイメージがありますが、雪国で米がとれないというイメージだと思います。
しかし実際はあきたこまちをはじめ東北でもおいしいブランド米は作れていますし、アイヌ交易では平安時代から江戸時代に至るまで、希少な物品を交易していて相当潤っていました。江戸時代の経済評価には石高以外ありません。しかし昆布や毛皮、武士が矢で使う鷹の羽は相当高額商品で、更にはロシア、清朝、オホーツクから手に入る希少物品は相当な高値で売買されていました。
東北は山、川、海の幸で生きていますね。
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