鎌倉仏教への流れ② 飛鳥時代
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
問題です。蘇我氏はなぜ仏教を強化しようとしたのでしょうか?
仏教伝来から暫く立ちますが、有名な聖徳太子の時代に入ります。
この頃は物部守屋と蘇我馬子が神道派と仏教派に分かれて争います。
物部氏は吉備(岡山県)を出身地として、武器を作る製鉄を管理していたこと、結果的に警察、軍事を司っていたこと、そして神社の神事を取り仕切る氏族でした。系譜を見ても由緒正しい豪族で天皇家に遡れます。
ニギハヤヒノミコトの子孫とも言われています。
九州にいた神武天皇が、大和の国に栄えている国があると聞いて神武東征を始めるわけですが、先に奈良、京都付近に栄えた王国が作られていたことが分かります。それが瓊瓊杵尊より先に天孫降臨していた饒速日命でした。この辺りは記録と系図が割としっかりしているわりには浸透していない話です。明治以降の国家神道には都合が悪い話だからでしょう。
さて、物部氏は神道を大切に、と主張しますが蘇我氏は仏教を取り入れようとします。
何故でしょうか?
答えは明確には残っていませんが、国内になかったことや機能を考えるといくつかの筋が考えられます。
①疫病や病気を救うため
神道はこの頃古神道《山など自然崇拝》が中心でしたが、大衆救済などの機能はありませんでした。
救済などという概念もなく、民衆を統治する際に必要になったと考えられます。
②技術接種のため
この頃の仏教のお坊さんはスーパーマン。仏教哲学だけでなく、薬学、建築学、政治学、生活の知恵、武術、健康管理、文字、算数、教育、絵画など多方面の知識と技術を持っていました。これらを導入する方法として「仏教」がよかったのです。
③韓半島との外交のため
百済や新羅と付き合うときに、仏教を起点に会話できると知識や技術的メリットがあります。また、軍事だけの野蛮な民族と思われても外交が上手く行きません。情報収集や日本の立場の強化を考えても有利です。
④中国大陸との外交のため
仏教が日本に伝わってきたころは北魏という国が国家宗教にしていました。これは次回。
さて、どれが答えでしょうか。
取り入れる目的を考えると全部正解だと思います笑
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません