鎌倉仏教への流れ③ 仏教の外交的位置付け

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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さて、昨日の仏教を取り入れる意味。そこから聖徳太子の時代に進みますが、対中国大陸との関係で仏教を考えてみましょう。

問題です。中国で仏教を国境にしたのは何という国でしょうか?

それにはまず、当時仏教はどのようなものだったのかを考える必要があります。インド発祥の仏教。オリジナルは原始仏教と言われていますが、「悟りを開くことによって一生苦しむ輪廻の輪から外れる(ニルヴァーナへ至る)ことを目的とする」宗教です。

オリジナルはとても個人主義的。生老病死の全部が苦しみで、永遠にグルグル回る輪から外れることをゴールにしています。救いも何にもなし。死んでも来世もまた同じ個体で苦しむ。死後まで縛られる究極の個人主義ですね笑

これってしんどいんです。救われる方法はあるけどメチャクチャ難しい。でも頑張ってね、というものです。これはタイ、ミャンマー、スリランカなどで広まっている小乗仏教の流れに繋がっています。

「いや、マジつらくない?」
と思ったお弟子さん達が修行と議論の末に大乗仏教を生み出します。
《特徴》
〇仏陀もone of them。過去にも未来にも仏陀はいた。
 なんと勝手に過去仏、未来仏など生み出し、未来に衆生を救ってくれる菩薩を生み出します。弥勒菩薩ですね。56億年後くらいに救済してくれます…笑
〇インドから中東を経てガンダーラを経由し、3世紀頃にはシルクロードで広まった。
〇終末という「時間の終わり」の概念を西洋から取り込んだ。
〇旅している間にいろんな宗教を取り込んだ。
〇神もいない宗教(仏陀は悟りを開いたただの人間)だったのに、菩薩、阿羅漢、観音など大量に仏様を創造。
〇三千世界、六道輪廻などの世界観を構築

もはやオリジナル仏教とは完全に別物笑

さて、この大乗仏教を国境にしたのが「北魏」という国でした。五胡十六国時代を経て中国の北半分を支配したのですが、ツングース系鮮卑族の国。遊牧民族が中国北半分を支配しました。この時に、漢民族の儒教的国家観、体系に対抗するために、
「皇帝は仏である。地方官は菩薩である。みんなで大衆を救う政治をする」と主張するために、政治思想に仏教を取り込みます。
この辺りが聖徳太子の前の時代に入ってきた仏教の背景です。
日本も仏教を取り込むことで、実は中国と別の国だよ、と主張し呑み込まれないようにした事が考えられます。

小学校の教科書には出てこない切口です笑
答え:北魏