鎌倉仏教への流れ⑤ 平安末期~鎌倉時代へ

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平安末期、源平の合戦で日本全体が戦乱に巻き込まれ、救いのない時代になっていました。武士の世へ、と言ってもただ戦争、飢餓、疫病がなくなれば、と思うものです。しかし南都六宗の仏教は朝廷・貴族の願いしか聞いていません。こうした中、全国を行脚し、大衆に仏教を広めるお坊さん達が出てきました。フリースタイル仏教。

西行:もともと武士で歌人でもあります。藤原北家の由緒正しい人です。全国行脚し、東大寺復興の為に陸奥藤原秀衡と会ったり、源頼朝に会ったり。全国各地で歌を詠み、仏の道を説きました。

徳一:今では福島県民しか知らないかもしれませんが、当時最澄と激論を交わした手紙が残っており、最澄、空海と同レベルの僧侶と言われています。寺も宗派も作らず、全国行脚し大衆のために尽くしました。

法然浄土宗を作りました。絶対他力本願。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救われる。阿弥陀如来のみを信じればよいという一神教的性格でした。シンプルなんですよね。絶対他力、というのも、「そんな人を頼って救われりゃ世話ない!」と思われるかもしれませんが、人間のやることを尽くし個人で無理なことを悟り、仏に縋る、という意味です。

親鸞法然の弟子で、浄土真宗を作りました。師匠の教えをさらに深め、悪人正機説(医者が重病人の方が先に面倒みられるように悪人こそ救われる)、一念発起(気合いれて念仏唱えれば往生できる)などを説きました。

一遍時宗を作りました。万人は念仏を唱えれば救われると説き、踊念仏と呼ばれ全国遊行しました。だいぶクレイジー笑

日蓮法華宗を作ります。「南無妙法蓮華経」と唱えると救われる。法華経のみが正しいとする排他的な性格です。今も大きな宗派ですね。

栄西:臨済宗を作りました。座禅の他に公案という問題が出てきて、問題に回答しながら政治や救済を考えます。とても実践的でやってみると結構面白いです。禅問答ともいわれて抽象的で難解ですが…笑
昔も今も、人の願いや社会課題は変わらないなと考えさせられます。

道元:曹洞宗を開きました。只管打座という只管ひたすら座禅を組み、厳しい環境に身を置き悟りを開くスタイル。俗世間と距離を取ろうとしました。

大衆救済に乗り出した鎌倉仏教
禅宗の臨済宗、曹洞宗はけっこう厳しくない?と思われますが、
①1つの方法に絞って②ひたすら繰り返す ことで救われるという点で、祈祷や儀礼、お経を読み込みまくる仏教と比べると道具も方法もはるかに簡単。
これらの鎌倉仏教は武士が社会を統治するのにも必要な論理であり、死と隣り合わせの武士にとっての救いになりました。