2021年慶応普通部社会⑤川と歴史④戦国時代
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川を挟んで戦う話。時代は下って戦国時代。
■川中島の戦い
武田信玄と上杉謙信の戦いですね。両者とも有力な戦国武将でした。京都からは遠かったためか、天下を取るところまでいかず、亡くなっています。しかし今でも人気ですね。
両者の有名な戦いは川中島の戦いです。
なかなか決着がつかず8回くらい戦っています。
問題です。武田軍と上杉軍。決着がつくまで戦えばいいのに、なんで途中でやめて帰り、また出てきて戦わなければならなかったのでしょうか?
答えは農作業のため。
当時の軍は農村から集めてきた兵士で成り立っていました。そうすると、戦争に出ている間、農業から男手が引き離されているんです。
「やべ、そろそろ稲刈りしなきゃ」「田植えしないと」
と農業の事が頭をよぎります。武将にしても、食料が作れなくなるということはけっこう致命的です。戦争もできないし領地があれてしまう。下手したら一揆など反乱が起きる。だから、「むむむ。勝負はいったんお預けだ!また相まみえようぞ」といって帰る。
この状況を変えたのが織田信長でした。彼が行った軍制改革は戦闘専門の武士団を作ったこと。これにより戦争に集中することができるようになりました。
豊臣秀吉はそれをさらに進め、太閤検地で農民から税収を取りやすくした上に、刀狩り令を出して農民が持っている刀を取り上げます。こうして反乱の芽をつぶしていったのでした。
逆を言うと、農民って結構強かったんですね。鎌倉、室町時代の坂東武者もそうですが、基本的に生活している間は農民、何かあれば戦う武士でした。つまり「農民兼武士」が割とオーソドックスなスタイルだったんです。また、日常的に戦争がない時代には畑耕していた方がいいですよね笑
そして戦いに負けた武士が農民化しつつ、戦える農民が各地に潜伏していると結構恐怖です。秀吉はこの辺りを取り締まったんですね。
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