アイヌと蝦夷他 ⑤琉球王国2
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
琉球王国。いろんな側面がありますね。
意外なのですが現在でも沖縄では昆布消費量が高いです。
なぜ意外なのか?
昆布は北海道でしか取れないのです。なのに沖縄では昆布消費量が高い。これは江戸時代の北前船の交易範囲が広かったからです。
薩摩藩は対中国貿易で利益を稼ぎます。
この時の商材は何でしたでしょうか?
答えは昆布です。昆布は当時中国では漢方薬だったんですね。琉球経由で中国貿易をすることで薩摩藩は莫大な利益を稼ぎました。
薩摩藩は財政逼迫でかなり窮地に立たされていました。これを巻き返したのが家老の調所広郷。当時は長崎以外貿易を認めていなかったので対中貿易も密貿易です。
ペリーが開港を迫った時も函館が開港されています。これも昆布狙いです。
ペリーの黒船にはアメリカ人しか乗ってない印象ですが、実際は通訳として羅森という中国人が乗っていました。ここで通訳しつつ、長崎からの情報だけでなく、アヘン戦争などの状況が追加で日本に伝えられたと言われています。
ちなみにペリーは浦賀港に現れる前に琉球に立ち寄り改革を迫っています。
琉球の外交官は酔わせて接待しながら確約せずにペリーを返します。
琉球は地理的に中国、日本両方の窓口を持っていました。二重朝貢のような体裁をとりながら、ペリーをうやむやに追い返す外交能力。侮れませんね笑
実はこの頃の英語の資料も結構多いんです。イエズス会以来日本の情報を広められるということに期待を寄せた米英人が多くいたことがわかります。
明治の日本。侵略の意図を持ちながら、これから資本主義に巻き込まれていくことを想像して失いたくない景色、ということを書いています。『逝きし世の夢』ぜひ読んでいただければと思います。
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