アイヌと蝦夷他 ⑨アイヌの闘争

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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本来のテーマに戻ってきました。
問題です。応仁の乱の10年前(何年でしょうか)に北海道で起きた反乱は何でしょうか?

答えはコシャマインの戦いです。
1457年、アイヌが和人に対して武装放棄した戦いです。この時相当強かったんですね。函館が有名でしたが、「館」というのは軍事基地の事です。「城」と同じ意味ですね。この時北海道南部に12の館がありました。しかしそのうち10までアイヌに落とされてしまいます。
この頃中国は明王朝でしたが、1449年土木の変で皇帝がモンゴルの捕虜になって大敗。北方民族と交易がしにくくなりました。遊牧民族にやられちゃったんですね。製鉄技術を持たなかったアイヌは交易で鉄を入手していましたが、和人との交易依存度が高まりました。そんなときに諍いから起きた蜂起です。

次の問題です。
江戸時代に起こったアイヌの反乱をなんというでしょうか。

答えはシャクシャインの戦い
江戸時代、青森県の松前藩が蝦夷地の貿易と管理をしていました。江戸時代は●万石というお米の収穫量で経済規模を見ていましたが、貿易での利益は図っていません。獣皮、鮭、鷹羽、昆布、砂金。これだけで莫大な利益です。この辺りを見える化すると博士号獲れるそうです。

最後に1789年寛政年間に起きた反乱は何でしょうか?
答えはクナシリ・メナシの戦いです。
フランス革命と同年に起こっています。これまでは青森県と隣接する道南での戦いでしたが、一気に東の国後島が舞台です。もう交易網がかなり広がっていて、ニシン漁ラッコの毛皮などいろんな産物目当てで和人が進出。この頃ロシアのラックスマンが根室に通商を求めて進出してきていました。
世界では植民地時代。オランダもイギリスもロシアも蝦夷地に入り込んできていました。アイヌは交易でも待遇としても本当にひどい環境で、1804年に2.3万人いた人口も1880年には381人まで激減。天然痘の影響などもありますが、本当に苦難の歴史です。和人が何をしたのかも知っておく必要があります。