2021年駒場東邦中社会 ⑥明治の身分制度
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
昨日の回答です。
まずは明治の身分から。
江戸時代は士・農・工・商という4つの身分がありました。
これがなくなり、侍階級以外も政治に携わることができるようになりました。
実際は思うほど身分差別がひどかったわけではないんですよね。
もともと日本は武士団が地方に移住して農村開発をしたり、食料を作りながら敵が来たときには戦えるように鍛えていた。豪商の船や貿易についても武士の分家だったり身分を超えた流れがありました。所領を任せる、産業を起こす、宿場町を任せる、というのは大体武士で、それがそのまま商家になったり農家になったり。身分の流動性はありました。
江戸時代には反乱が起きないように身分を固定化し、専業化していましたが、下級武士は傘を作ったりしないといけないし、庄屋さんも年貢を治めたり農村経営したりしないといけないので、いろんなことをしていました。
百姓というのはもともとその名の通り百の姓であり、姓(かばね)は職業集団でした。
日本では百姓は農民の事を指しますが、中国語では「一般人」の意味です。いろんな職業をしている人の総体を指し、日本では農民がそれをしていた、ということでしょう。
明治の身分はほぼみんな一般人となりました。しかし一部の公家や大名は華族という立場にいました。更に功労者や政府高官などもここに名を連ねることができるようになりました。華族には公・侯・伯・子・男の5等級がありました。男爵、子爵、伯爵、侯爵という形になります。
大名家は明治以降大体子爵家、伯爵家、などになっています。
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