2021年早稲田中社会②より 鎌倉幕府

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

A この人物は、鎌倉幕府が(あ)上皇と争った承久の乱の後に京都に設置した(い)探題の初代です。のちに執権となり、評定衆を置いて幕府の政治に合議制を取り入れたほか、1232年には御成敗式目を制定しました。

この人物は誰でしょう?
今大河ドラマでやっている時代の延長戦ですね。
答えは北条泰時です。最近は南北朝や北条氏がブームですね。この辺りの時代は面白いです。

(あ)後鳥羽上皇と争ったのが承久の乱です。これって結構すごいです。
日本で表立って天皇軍と戦い、島流しにしたのは北条義時くらいでしょう。

源頼朝が鎌倉幕府を作りましたが、実質的に幕府の実権を握ったのは北条氏です。この承久の乱によって、坂東武者は朝廷に対して決定的な優位性を獲得しました。この時に設置したのが(い)六波羅探題です。京都に置いた鎌倉幕府の組織で、朝廷で公家達が変な動きをしないよな、というのを監視している役目です。これにより幕府の朝廷に対する優位性が獲得されました。

後に御成敗式目を作り社会のルールを作ったりしました。
北条義時はこれまでと違い武士の世の制度基盤を確立していったんですね。ある意味武士のルールを作っていったことに意味があり、それ以前の朝廷が定めた法は失効していません。
こうして立場によって順守すべきルールが変わりました。

武士の世になった、とはいえ一つずつ課題を解決して成立していっています。