おもしろ歴史談義④ ヤバいぜキリシタン大名!

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本日は戦国時代。室町末期から戦国時代にかけて、日本は割とぐちゃぐちゃ。南北朝時代にはそれまでの武士の統治者がかなりガラガラポンと入れ替わっていますね。もちろん鎌倉以降の有力氏族は守護大名として残っています。しかし南朝側についた地域は疲弊していっています。
諏訪や新田氏、楠木正成などなど。
さて。1492年コロンブスが大西洋を渡ってアメリカ発見、する前からポルトガルがアフリカを超え、インドを超え、東南アジア、日本へとたどり着いていきました。ポルトガルとスペインはとても近い関係ですが、当時はローマ教皇がトルデシリャス条約というのを出します。これがなにかというと、
「ポルトガルは東回り、スペインはアメリカから西方面に支配していっていいよ」というものです。
何言ってんだ、といいたいような内容ですが、当時は神の国実現のためにガンガン虐殺奴隷OK時代でした。インカ帝国、アステカ文明など数々の国、民族が滅ぼされ、アフリカは奴隷供給の場となりました。

 戦国時代の日本はどうだったでしょうか?
 当時の日本人のキリシタンは70万人といわれています。ヤバいですね!
 そして日本人奴隷が東南アジア、遠方では南米まで売り飛ばされています。当時鉄砲はありましたが火薬が作れなかった。当時
日本人女性50人=火薬1樽
で交易されていた記録が残っています。日本人奴隷は10万人を超えました。

九州のキリシタン大名は戦争に勝つと寺を破壊し焼いて坊さんを殺し、切支丹に改宗したまじめな人達がお墓を破壊し、戦争に負けた民衆は東南アジアに売られて行く。。戦国時代に生まれなくて本当に良かった。。

長崎に至っては一度イエズス会に寄進されています。
一瞬とはいえ日本じゃなくなっちゃってるんですね。。。
日本人でもほとんど知らないこの繋がり。
何百年もイエズス会は重視し、干渉し続けます。

このヤバさに気づいた豊臣秀吉が宣教師をバンバン処刑。
しかし豊臣政権の五大老もまた大半がキリシタン大名という状態でした。
技術と戦争のために侵略の隙を与えてしまう可能性すらある。
関が原の戦いにはスペイン人宣教師の観戦武官がいました。
東西両軍の戦略と戦争状況によっては侵略する気だったのでしょう。
(実際は軍事力が桁違いだったので直近で侵略される状況ではなかったのですが)

江戸時代になると徳川幕府は鎖国して布教してこないオランダだけと付き合うようにします。
たくさんいた切支丹は浄土宗に吸収。檀家制度で管理しました。
地方に行くと突然出てくるマリア観音。あれはこの時からの名残ですね。
日本が植民地にならなかったのは最強軍事大国だった事と徳川家康の適切な処置のおかげですね。