思考問題 どうする幕末②
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
近現代はしっかり出ます。慶応の過去問を見ていても、細かい因果関係が分かっていないと迷う問題が出ています。今回の設問は文章で流れを追った形式ですが、幕末の因果関係と流れを把握できるでしょう。
■国内情勢2
・長州藩士(⑪)は長崎、江戸留学を経て海外事情に精通した。黒船来航時、渡米しようとして失敗。長州藩に戻されるが(⑫)を作り長州藩士を教育した。
・国内は(⑬)派と(⑭)派に分かれ激論が交わされた。京都では両派がくすぶり治安が悪化した。(⑮)天皇が攘夷派だった事から過激派の攘夷論者が京都でテロを行う状態になった。会津藩松平容保(まつだいらかたもり)公は(⑯)として京都の警備に当たり、(⑰)を組織し京都の治安維持に当たった。
・政変で京都の意思決定から外された長州藩は(⑱)を起こし、京都御所に大砲をぶちこんだ。京都の警護に当たっていた薩摩藩、会津藩らが撃退した。この時に中心的に動いた一橋家、会津藩、桑名藩は(⑲)と呼ばれ、その後京都の政局を主導した。
・薩摩藩は横浜近くでイギリス人を切り殺す(⑳)を起こした。薩摩藩は(㉑)で敗北した。長州は別で(㉒)で米英仏蘭の4か国と戦った。敗戦の責任は幕府に押し付けた。これをきっかけに薩摩、長州の攘夷派は開国論に傾いた。
・15代将軍(㉓)は(㉔)をすることで幕府の権力を天皇に返上した。坂本龍馬のとりなしで(㉕)を結んだ薩摩藩、長州藩は倒幕を計画していたが、大義名分がなくなった。戦争を必要とした西郷隆盛は薩摩藩邸にならず者を匿い、江戸市中の一般市民を殺害、放火殺人など乱暴狼藉を働かせた。怒った(㉖)藩士が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちすると、江戸に向けての戦争が始まった。
・倒幕を進める維新政府軍は江戸に向かう。(㉗)は江戸城で(㉘)と会見し、無血開城となった。大政奉還後、戦争は不要な状態だったが、維新政府軍は(㉙)を起こすことで東北地方にも戦火を広げていく。東北各藩は(㉚)を結び、結束した。新選組隊長(㉛)は千葉県(㉜)で亡くなった。(㉝)は戊辰戦争の激戦地となった(㉞)で戦ったのち、榎本武揚と合流し(㉟)まで戦った。
答え:⑪吉田松陰 ⑫松下村塾 ⑬攘夷 ⑭開国 ⑮孝明 ⑯京都守護職 ⑰新選組
⑱蛤御門の変 ⑲一会桑政権 ⑳生麦事件 ㉑薩英戦争 ㉒下関戦争 ㉓徳川慶喜
㉔大政奉還 ㉕薩長同盟 ㉖庄内 ㉗西郷隆盛 ㉘勝海舟 ㉙戊辰戦争 ㉚奥羽越列藩同盟
㉛近藤勇 ㉜流山 ㉝土方歳三 ㉞会津藩 ㉟函館五稜郭
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