思考問題 どうする幕末③

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
とはいえ、もうすぐ受験で今年は正月もあまりない状況かと思います。
英気を養いつつ、対策をしていってください。

幕末問題は欧州列強、アジア、日本の同時代の状況が分からないと本質がつかめません。
よく文章を読んで、以降の思考問題に備えてください。

問題です。以下の( )に入る単語を書いてください。

■海外情勢
 ・イギリスは中国から(①)を買う代わりに、インド産の(②)を中国に売った。結果利益が流出し、国内で病人、志望者が増えた結果中国(清朝)では1840年(③)が勃発した。結果清朝は負け、イギリスに半植民地化された。
 ・当時アフリカ、アジア諸国の大半は欧州列強に植民地化され、アジアでは日本と(④)だけが独立を保っていた。オランダは現在の(⑤)を350年支配した。現在の首都(⑥)は当時(➆)と呼ばれ貿易港として繁栄した。オランダが日本に持ち込んだヨーロッパの産品は(➆)を経由化、現地製造されたものも多い。

■外国対応
 ・江戸時代、長い間徳川幕府が統治していた。外国人対応は(①)1か所に限定していた。
 ・1861年には(②)が対馬を実質上占領した。幕府の若手官僚でアメリカにもわたった  
 (③)が対応し、イギリス公使(④)に働きかけロシア軍艦を退避させた。
 ・1853年アメリカから(⑤)が黒船で来日。しかし1783年に北の海に漂流してしまった(⑥)が10年後帰還したことで、欧州事情が幕府に伝わりました。ヨーロッパでは1789年から始まった(➆)のためその後日本には影響がありませんでした。しかし19世紀にはいると東北では(⑧)の軍艦が近海を通っているのを目撃しており、樺太の番屋が襲撃されるなどの事件が起きていたため、幕府は会津藩に(⑨)を命じていた。
 ・幕府は年1回(⑩)に世界情勢をレポートさせていたため、欧州、アメリカ、中国などアジア情勢も理解していた。このレポートは(⑪)と呼ばれていた。バタヴィアで作成されたものを(⑫)と呼ばれていたがこのオランダの報告によってペリーが日本に来ることは前年に幕府は知っていた。
 ・江戸幕府は軍制の近代化を図り(⑬)式軍隊を練兵していた。
 ・坂本龍馬は長崎でイギリス人の(⑭)に会い、最新式武器の取引を行った。(⑭)は中国に(⑮)を売っていた商社、(⑯)の支社を作っていた。彼は横浜にもオフィスを持ち、初代総理大臣となった長州藩の(⑰)ら4人をイギリス留学させた。(⑯)の作った決済銀行は現在の(⑱)である。
 

■海外情勢 答え
 ①紅茶 ②アヘン ③アヘン戦争 ④タイ⑤インドネシア ⑥ジャカルタ ➆バタヴィア


■外国対応 答え
①長崎②ロシア③小栗忠順 ④オールコック ⑤ペリー ⑥大黒屋光太夫 ➆フランス革命
⑧ロシア ⑨北方警護 ⑩オランダ ⑪オランダ風説書 ⑫別段風説書 ⑬フランス 
⑭グラバー ⑮アヘン ⑯ジャーディンマセソン商会 ⑰伊藤博文 ⑱HSBC銀行