思考問題 どうする幕末⑤

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

年始早々ですが試験勉強頑張ってください。
あと少しですが、楽しみながら得点していきましょう。
では続きです。

問2.徳川幕府の立場で答えてください。ペリー来航前、欧州、アジアの情勢をどのようにみていたでしょうか。文中の有無を問わず回答してください。

問題文中に書いていますが、教科書的歴史しか知らないと「そうなの?」という流れだったかと思います。事実は、江戸幕府は相当前から世界情勢をかなり詳細に把握していた。しかし、
①知っていたのは一部の人間であること
②まだ日本には来ないだろう、という楽観的観測で対応を遅らせたこと

がのちの明治維新に繋がっていったと考えられます。
現在の日本にも通じますね。
「まだ大丈夫、今まで大丈夫だったから」
といって検討しないのは正常性バイアスと呼ばれます。
誰も大変なこと、しんどいこと、不幸なことを考えたくないですからね。
平和に浸って戦争が起こることなど考えなければ、平和に生きていける…
はずがないことは歴史が示しています。
だから知っている一部の人間は伝えなければならないですね。

さて、問2ですが割と設問に書いています。切口としては
①どんな情報を得ていたか
②どのような対策をしたか

幕府が具体的にどう考えていたかはわからないので、自分で考えましょう笑
でもどんな対策をしたかという事実で推測できますね。

まず情報面です。
①大黒屋光太夫など漂流民が外国事情を伝えていた
 基本的に外国に行ってはいけないのでイレギュラーですが、見聞情報を報告させていたんですね。結構貴重な情報源です。漁民が漂流しても、文字も書けず把握もできず帰ってくる事例もあり、本当にイレギュラーだと思います。
②オランダ風説書で年1回世界情勢を報告させていた
 これが圧倒的に情報として貴重ですね。ペリーが来ることも1年前からわかっていました。ペリーは太平洋を横断してきたのではなく、インドやマラッカ、中国など経由して来ていたからですね。琉球にも立ち寄り、開国せよ!と迫りましたが宴会で酔っ払ってなし崩し的に追い返されました。そんなことも幕府に伝わっていました。

③アジアの植民地化情勢を知っていた
 これもオランダ情報ですが、清朝との貿易もあるので中国側からも裏が取れています。欧州がどんな貿易をしているのか。アヘン、苦力(クーリー)、資源強奪などなど。かなり前からわかっていました。1840年アヘン戦争とその後は特に日本にも広く伝わって来たため、ペリーが来る10年以上前から警戒していました。

次に状況・対策です。
①財政逼迫
 19世紀に入ってからも、飢饉など起こり幕府の財政は決して豊かではありませんでした。幕府は300年間いろいろ手を打っていますが、圧倒的に豊かというわけではなく、火山の噴火、津波、飢饉などに見舞われていました。結構戦時?に近い災害頻度でした。
 1840年代に至っては幕府の与力まで反乱を起こすくらい、腐敗していたというのも事実です。
「おぬしも悪よのう」という商人と一部権力の腐敗、横暴も事実だったと思います。
海外情勢も相まって軍事力増強もできない。今に似ていますね。いきなりこの場面からスタートだと苦慮するかと思います。平時のうちに、整えておくのが重要ですね。

②技術の更新
 そんな中、西洋砲術など技術後進をする流れができました。江川英龍や佐久間象山など様々な人物が地方からも出てきます。もともと対ロシアの北方警備などもしていましたが、こうした動きはちゃんと取り入れて、海防政策なども進めていきました。

③軍制更新
 タイミング的には遅い部類に入りますが、軍政を近代化する事が求められ、幕府ではフランス式軍制を取り入れました。十分とはいえないまでも、ちゃんと軍事費増強して軍備を整え、対応していったんですね。

④基本的には通商したくない(必要ない)が、植民地化されないように何とかしたい
 そもそもとして、たいした戦争もなく300年近く暮らしていた江戸時代の人々からすると、戦争したいわけではありません。幕末になって武士は質に入れた先祖の鎧や刀を買い戻していたくらいです。そして幕府は十分な財力がなく、軍事費が捻出できなかったのが実情です。現在と同じですね。
しかし、基本的にはペリーが来てもイギリスが来てもお帰りいただきたい。
いつの間にかイギリス公使、フランス公使など来ていますが、お帰り願いたい。
何故なら目的は植民地化だということが分かっているからです。

日本に資源がないから来なかった、という話は大嘘です。
江戸時代に現在のお札と同じレベルで流通していた、大判小判は金、銀でできていますが、
どこに行ってしまったんでしょうね。。

しかしまあ来るなと言っても追い払う力がない。
ここから攘夷だ!開国だ!となる訳です。
幕府は井伊直弼が開国に踏み切りますが、開国派も心中は攘夷です。
ただ、いったん通商をしながら欧米列強と同じ軍事力、財力をつけて植民地化を防ぐ、
という方法論の問題でした。
回答としては以下になります。

答え:
問2.江戸幕府は大黒屋光太夫の渡航からロシア動向を把握していた。またフランス革命、ナポレオン戦争、アメリカ独立戦争もオランダ風説書で把握していた。アジアが植民地化し、アヘン戦争で大国清国が破れ、欧米列強が強大な軍事力を持ち、日本に迫ってくることを前年から把握していた。状況として、江戸幕府は財政が逼迫し、欧米列強に対抗する軍事力がなかった。そのためフランス式軍制を取り入れ練兵し、海防政策に力を入れ、西洋砲術など多くの武士が学ぶことを奨励した。内政においては攘夷を基本路線としながらも、開国の必要に迫られ通商条約の締結、開港を徐々に進めた。