2022年7月8日 近現代政治事件②大久保利通
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
というにはトピックが重いのですが、政治とは、を考える上で重要なのでやりましょう。渋幕、麻布などでは果敢に切り込んできそうです。
問題です。
大久保利通が亡くなったのはどこでしょう。
時代は幕末。徳川幕府が衰退する中、維新志士が活躍しました。その中で薩摩藩からは西郷隆盛、大久保利通がとくに有名です。
西郷隆盛は江戸無血開城など徳川幕府に終止符を打った一方、本人はあまり明治新政府で仕事をする気がなく、朝鮮との関係問題でもめると薩摩に返って農業に従事し、子弟を育てました。
戊辰戦争で戦った庄内藩の子弟も育成しており、その時の言葉が『南洲翁遺訓』に記されています。
西郷さんの最期は西南戦争で終結します。士族をなくした明治政府。武士として戦う薩摩藩。大久保利通はかつての友人だった西郷と、新政府の立場から反乱軍を取り締まる立場で戦うことになります。
西郷隆盛も亡くなりますが、大久保利通も紀尾井坂で暗殺。紀尾井坂の変と呼ばれます。(場所は清水谷で起きていますが。。)
理論家で西欧システムを導入する大久保利通。現在の日本の官僚機構は彼の功績と言えます。一方権力も集中し、反感も買っていたことでしょう。6人の不平士族に殺害されました。
政治家とは、何かしら政策を取れば功罪両方がでます。何もしない政治家がいいわけではなく、活躍した政治家は功績もあれば恨みも買うのだと思います。命懸けの職業、しかし日本の為に誰かがやらねばならない。彼は欧米列強に負けない国づくりの為に命を懸けたのでしょう。
答え:清水谷
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