2022年7月8日 近現代政治事件⑤ 大隈重信

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本日は大隈重信です。
問題です。彼が創設した大学はなんというでしょうか。

彼は幕末佐賀藩の出身です。薩長は罰ほどでなくても佐賀藩もある程度力を持っていました。
失脚しつつも立憲改進党や憲政党などに関与しつつ、たびたび大臣の要職を勤めました。

明治維新派下士による革命でしたが、上士出身では元勲として活躍した井上薫、板垣退助、後藤象二郎がいます。その中でも総理大臣まで行ったのは例外です。

彼はイギリス公使パークスと対等に交渉し手腕を発揮しました。
政治家として大隈はイギリスと同じ国会を開いて政党内閣を作ることに情熱を傾けました。そこで立憲改進党を設立しました。
また同年早稲田大学の前身、東京専門学校を設立しました。

大隈重信も襲撃を受けます。福岡の国家主義組織玄洋社の来島恒喜に爆弾を投げつけられ、右足を1/3で切断することになります。

彼は外交面で致命的ミスを犯したのが対華二十一か条要求です。
これが中華民国政府の大きな不信を買う事になりました。ただ、実際は外相が軍部の強硬な意見を反映させて作成したもので、最終調整されないままに提出されてしまったことにも原因があります。日中関係では問題があった半面、早稲田大学では中国人革命家、のちの共産党政治家を多数輩出しています。日中関係はあざなえる縄の如く、複雑に絡んでいますね。
彼はデモクラシーの政治家として「国民葬」となりました。


答え:早稲田大学