経済の歴史③ 南蛮貿易システム

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南蛮貿易。でもその前にアジアの海を支配していたのは実は倭寇でした。
倭というのは日本人で、室町時代に国内統治が荒れてきた時から倭寇が発生しました。
まあ日本人の海賊が中国の明、朝鮮、東南アジアを荒らしまわっていたんですね。
とはいえ実態は半分貿易もしながら、半分漁業、半分交易の移動の民でした。

倭寇=日本人のイメージがありますが、後期になると60%が中国人になります。

もともと海洋民族は国という概念が緩い、当てはまらないことが多く、例えば倭寇の例で行くと、
「明(中国)で拉致された子供が倭寇で育ち、朝鮮の港町を拠点に生活。その後倭寇が拿捕されてその子供は明に戻ることになったが、もはや中国語がしゃべれず朝鮮語と日本語で生活せざるを得なかった」
というような裁判事例の史料があります。
もはや多言語、多民族が1人の中に同居してしまい、何人か?というのはわからなくなりますね。

さて、南蛮貿易ですが、ほとんどの場合はアジア圏内で完結する仲介役でした。
ポルトガルの産物とは関係なく、

日本⇔中国⇔東南アジア
といったアジア圏内貿易流通を次第に握っていったとも言えます。
日本と他国の二国間貿易ではなくなってきている、今の商社みたいな感じですね笑
1570年から1630年までの日本とポルトガルの貿易取引額は290万~440万クルサドといわれています。
10クルサド=米1石
とすると217億5000万~330億円となります。

宣教師はローマ教皇や国王の支援を受けて布教活動を行いますが、軍需物資の外交販売員的役割をこなしていきます。その代わり移動や物資運搬を助けてもらうという仕組みで、日本の諜報と信徒の獲得を活動目的の一部にしていました。例えば「日本には希少なものは高い値段で払うので少しずつ持ってきた方が良い」というようにアドバイスをしていました。マーケティングのビジネスコンサルですね。

そんな戦国大名が宣教師や南蛮人を相手にする目的は主には火薬など軍事物資でした。
当時鉄砲は国内量産が可能でしたが、火薬が作れませんでした。
イエズス会はキリシタン大名を増やし、九州では
日本人女性50人=火薬1樽
等で貿易し、日本人奴隷を東南アジア、一番遠くて南米アルゼンチンまで流通させていました。
織田信長もイエズス会の宣教師ルイス・フロイスなどを近くに置いていましたが、当時戦国時代。
日本を守るという国防意識はどこかにありながらも、軍事力の強さと戦国時代の収拾のバランスが取れる必要がありました。