経済の歴史⑧ 大仏建立は国家財政を傾けた一大プロジェクトだった!
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比叡山延暦寺から遡って奈良時代。752年大仏建立しましたね。
動員数260万人。
費用は約4657億円(試算)。
結構ヤバい金額と人数です。
当時の事を考えると逆に国が破綻するんじゃないかと思います。
費用はざっくり以下です。
①原材料費3363.5億円
精錬銅500t、大仏殿の柱材木の丸太84本など
②人件費1292億円
関係者260万人以上とされています
③労働者の住居費1.7億円
合計約4,657億円
735~737年には天然痘が大流行し、100万人以上が病死していました。
この状況を嘆いた聖武天皇は仏教によって安泰を図る鎮護国家の考えにすがります。未曽有の危険が起きた時に人は今も昔も祈る事しかできないんですね。
さて、この大仏を作る費用はどこから来たのでしょうか。
それは土地からの税収にあります。
はじめ朝廷は班田収授法という形で中央集権化を進めていました。
「土地と人民は国家に帰属する」という考えの下、朝廷が農地を人々に貸して、そこに課税するという考えでした。
しかし人口増加で農地が足りなくなります。そこで口分田が不足したので「新しく土地を開梱した人は3世代まで私有地にしていいよ。」という三世一身法を制定します。
これで土地の開墾が進みます。しかし三代って割と早いもので、昔だと50年もすれば3代になってしまいます。「国に土地持ってかれるの??」と思うと開墾が止まります。
大仏建立には巨額の費用が掛かる。朝廷は同時期に農地を永久に私有化できる墾田永年私財法を発令しました。これでどんどん開墾させて、増えた税収を大仏建立に充てて行きました。
大仏建立の後も朝廷は税収不足に悩まされます。
何故か。それはお寺や貴族たちが自分達の荘園を作り、開墾させて囲い込んでいったからです。口分田をもらっていた農民も徴兵や労役を逃れるために私有地に逃げ込み農地を放棄。貴族は私有地として開墾を進め、領土を開拓していったのでした。
公地公民制は次第に崩れていき、公家が支配する体制になっていきます。
荘園の成り立ちや仕組みを見ると、特に地方では現在の政治家支援の背景まで見えてきます。
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