2024年開成中学校社会① 二人のゴトウ
どうも。歴旅です。
今日もぶらりと歴史旅。
ではでは解説していきましょう。
1924年、前年に起こった( )を受けて災害対策や土地利用の見直しなど含めた帝都復興計画が進められていた時期に当たります。
過去にも取り上げたことのある内容で、比較的簡単ですね。
これは東京問題ともいえますし、まさに2023年はこのネタでNHKもやっていたり、いろいろ取り上げられていた時事問題でもあります。
1923年に何が起こったか。年号で覚えている人もいるかと思いますが、100周年
記念ということで「東京大震災」が答えです。前後の文章を見ても災害という事がわかりますね。
1914年に始まった欧州での第一次世界大戦によって、日本は戦争特需で好景気に沸いていました。お金燃やして灯りにする金持ちの挿絵を資料集で見たかもしれませんね。バブルでした。しかしその終結から間もない頃、東京大震災に見舞われます。
この時の震災は甚大な被害をもたらしました。地震というより火災の被害が甚大です。この頃日本家屋は木造でした。そしてキッチンも電気などではなく、七輪による炭火です。そして運悪く、日中のお昼時にこの地震は起きたのでした。
つまり、
地震発生→炭火の火が家に燃え移る→どんどん延焼
ということで東京が火の海になりました。逃げようとして川に飛び込むのですが、おぼれ死ぬ人もいたり、飛び込めずに焼け死んだりと甚大な被害をもたらします。こうしたパニックの時はいろんなデマが飛び交います。朝鮮人が井戸に毒を流したとか、パニック、恨み、冤罪、報復など混乱を極めます。
この時活躍したのが後藤新平でした。
横浜ではがれきを海にもっていき、埋め立てました。こうしてできたのが山下公園です。日本の埋め立て地も江戸時代から徐々に陸地が増えていっていますが、こうした震災の時のがれきを海にもっていくことでまた埋め立て地が増えていきました。
帝都復興計画では、こうした都市計画を進めるために後藤新平は議会で復興予算を取ろうとしますが、多くの議員の反発により予算は1/3程度までに削られます。
いつの時代も自己利益しか考えない政治屋が多くいますが、この時代成金となった企業とそこから金をもらう政治屋が増えた時代でした。普通選挙などは買収可能なのでまっとうな知識人の行う政治から人気投票へと変化してきます。
東京の過密が死傷者の増加の一因となったため、当時欧州でも流行っていた田園都市計画を進めます。
この時に活躍したのが東急電鉄社長に就任した五島慶太でした。
国の予算に頼れない。そうすると私企業として開発を進めるしかない。ここに苦労が垣間見えます。
五島ははじめ及び腰でしたが、後藤新平に熱心に頼まれ、鉄道会社を作ります。
ここで郊外、田舎ではないけど自然のある農村風景と都市の融合した住居形態が作られれています。今と大体同じになってきますね。大正時代には今の生活とあまり変わらない都市設計がなされていました。
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