2024年 武蔵中学校社会① 労働問題~縄文時代~

12月 11, 2024

どうも。歴旅です。
今日もぶらりと歴史旅。

武蔵中学。自由度高い問題が多く、思考力や発想力、データ分析などが問われます。2024年の問題は…正直控えめに見て簡単ですね。問題数も少なく求められる分量、論点も少ない。しかし歴旅は周辺情報を深掘りします。
それではサクッとみてみましょう!


まずは以下の図について。
図1,2は何でしょうか?

■図1は何でしょうか?

簡単、なんですが答えは複数ありますね。深読みしすぎでしょうか。
図1は矢じり。石鏃(せきぞく)とも言えます。素材は?石?黒曜石?
この辺りフリーで書き込めますが、回答レベルとしては「矢じり」ですね。

ちなみにこの矢じりになる素材の黒曜石。縄文時代では一つの革命的素材でした。イメージするために身近な素材を思い浮かべてもらうと、ビール瓶の底のガラスを削ってこの形にしたもの、です。ガラス質なんですね。当時手でしか作業できなかった時代に、地表に出ている石でガラス質のものは貴重でした。
縄文初期には伊豆七島の神津島。

火山でできたこの島には泥がありません。なのに土器が発掘されています。そのデザインを見るとどこの様式の土器かわかるのですが、鹿児島あたりからも静岡県の伊豆の先の島まで来ているんですね。土器と黒曜石を物々交換したのでしょう。縄文人はそれくらいの航海技術は持っていて、交易していたんですね。縄文ビジネス。

縄文時代中期になると、長野県諏訪市和田峠産が圧倒的に流通します。面白いことにこの諏訪産の黒曜石の流通経路と諏訪神社の分布が重なるんです。
西は愛知県から東は関東。太平洋側も日本海側も山形県くらいまで流通しています。飛び地で北海道も。一大諏訪文化圏が黒曜石と共に広がっていきました。
物々交換しながら縄文人が全国的にマージしていき、今の日本語、日本人の原型が作られて行ったのが見えます。
その他中国地方も北海道も黒曜石は存在しますが、時代によって発見できたりできなかったり。ショベルカーなんてないのでなかなか難易度高いですね。

■図2の土器は何でしょうか?どんな用途でしょうか?

これは縄文土器ですね。円錐状になっているのが特徴的です。炊事用です。土器ができたことで煮炊きが可能になったんですね。これで食料生産、食料保存、被を通して食べれるものが増えました。美味しく食べる事も可能。

しかしどうしてこんな形になったんでしょうか?

キャンプの時を思い出してほしいのですが、河原で、野原で炊事しようとすると、自然にあるものを活用して煮炊きすることになります。となると石を丸く置いて真ん中に火を焚く。その石で囲むことでこの土器は安定しそうですね。
怒気というのは定住しないと作る時間がありません。

土器を作るには結構時間がかかります。
①粘土質の土を探す。
②土を捏ねる。
③形を作る。
④乾燥させる。
⑤焼く(野焼き)

地味に乾燥させる時間とか、雨に晒されない環境でどこに置くかとか、とか考えると住居が固定して長く存在していないと作れないですね。つまり旧石器時代の様な遊動民は作れないんです。ここで起きていたのが定住革命です。縄文人が文化を作ることができた基盤。それは定住できるほど周りの自然が豊かだったということです。

縄文人は何を食べていたでしょうか。猪、シカなど獣肉も

食べましたし、魚も貝もわかめも食べました。
この頃から和食と同じようなものを食べていたことが分かります。階層入れて、貝入れて貝出汁。魚入れて鯛出汁。キノコ出汁も取れていそうです。
味噌醤油はなくても現在の和食の吸い物くらいは作れていたんですね笑

ちなみに弥生時代になるとそこが丸くなってきます。これは何が起きたんでしょうか?
実は農耕文化と関係があります。逆円錐の縄文土器だと、お米を焚いても均等に炊けないんですね。また、斜めにして拭きこぼしとかもできない。だからそこが丸くなってくる。弥生時代になると米を炊くために形状が変化します。

土器一つでもいろんなことが分かりますね笑
単なる土を捏ねたように見える縄文土器でも文明論を内在していて面白いですね笑