2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉① 戦国日本のモノづくり
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問13 下線部⑫について、豊臣秀吉が行ったことについて述べた分として正しいものを、次のア~エから1つ選び、以後上応えなさい。
ア 刀狩り令を出して、刀や鉄砲などの武器を農民から取り上げた。
イ 小田原の上杉氏を倒し、天下統一を完成させた。
ウ 朝鮮戦争に出兵したが、李舜臣(イスンシン)率いる水軍や、清の援軍に苦戦した。
エ 本能寺の変の後、明智光秀を桶狭間の戦いでやぶった。
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どうも。歴旅です。
今日もぶらりと歴史旅。
今回は戦国時代。楽しいですね!
完全に余談ですが、戦国グッズの会社とコラボしていろいろやっています。
最近は鎧を作る伝統工芸の「甲冑屋」さんを次世代に残すため、
新商品開発や販路開拓のお手伝いをしていたりします。
伊達政宗の鎧で甲冑時計作ったりしています笑
https://www.makuake.com/project/tadayasu_kacchu/
『戦国魂』さん、ソラマチにもお店あります笑
https://www.sengokudama.jp/
ちなみに私のスマホカバーは真田幸村です!
ハイ。勝手にテンションが上がってしまいました。完全に趣味人ですみません笑
真田幸村が出たところから西軍の豊臣秀吉。
からの~ちょっと遡って戦国時代、ぶらりと行ってみましょう!
■秀吉の時代
はい。戦国時代。基本的には国内の視点で見ていくことが一般的だと思いますが、ちょいちょいグローバルな視点で見ていきます。というのは、このころから欧州との関わりが活発化してくるからです。いいも悪いも含めて… この世界の動き。これがあるかないかで、各リーダーの行動の動機が分かってくるんです。
日本のことを日本史だけで知ろうというのには限界があります。国の栄枯盛衰は常に外的要因からも影響を受けるからです。
というわけで、国の内外も含めてみていきましょう。
■鉄砲量産。ヤバいぜ日本人
1543年種子島にポルトガル人によって鉄砲が伝来しました。
と、教科書では習うのですが、実際は中国船でした。100名ほど流れ着いた船の中にポルトガル人が3名ほど乗っていただけです。
この船主は王直という名の中国人。実は歴史上名高い倭寇の大頭目でした。倭寇というのは日本海、黄海に出没する日本人の海賊を指して中国(明)が呼んだのですが、後期倭寇は70%が中国人か朝鮮人でした。成りすましはこの頃から笑
明も倭寇はみんな日本人、とは流石に思ってなかったと思いますが、南方海洋民族を総称して倭寇と捉えていたのでしょう。
実際彼らは海の民で国籍が曖昧です。福建で生まれ、海賊船で拉致され、日本語で育ち、長く朝鮮貿易で半島に住み、成長してから無事?物件に帰ったけど言語も育ちも風習もバラバラ、という感じです。戦国時代の海洋覇権の一局を握り半ば独立していた倭寇。
彼らは通常密貿易を行い、場合によって海賊、という生業でした。
長崎県の五島列島、平戸などに拠点を構え、東南アジアまでを交易していました。
ここから日本に鉄砲が伝来してします。
■日本のモノづくり(戦国時代編)
高額にもかかわらず種子島氏は鉄砲を買い付け、その構造を分解し始めました。
2年後に大量に鉄砲を売りつけようとスペイン人がやってくるのですが、その頃には日本はすでにどこでも鉄砲を大量生産していたのでした。戦争というのは武器の質と量で大部分決まります。
この段階で日本は実は世界最強レベルの軍事国家になっていました。
日本は鎖国していたから植民地にならなかったのではないです。世界最強軍事国家だったから攻められなかったんです。
さて、いくら何でも初見で新しい技術を見て、ちょっとやそっとで完全コピーできるなんてすごすぎですよね。
でも実際日本はそれをやってのけました。それは中世の社会構造にあります。
みなさんは百姓って聞いて何をイメージしますか?
大半は「百姓=農民」ではないでしょうか。
しかし字を見てください。本来的な意味は百の姓(かばね)なのです。ここから一般人、という言い方もできますが、実際は自分で生活する農地を持ちつつも、大工、鍛冶屋、石屋、炭屋、材木屋など、様々な職能を持った人達だったと考えられています。今で言うところの半農半X。兼業農家ですね。
鎌倉、室町時代を経て、貸倉庫業、運搬業などが発達し、同時に金融機能を担い始めます。手形の原型もできはじめ、流通網が発達してきます。こうした社会の中で、農奴のように土地に縛り付けられていたというイメージは間違った常識で、非農業的側面がかなりあったと考えられています。
それに関西には宮廷に諸道具を納める鋳物師がいました。一番最高品質の品物を納める、ということをしていたので、生活が保障され、技術水準が向上、保たれる環境がありました。
こうした関西の職人達が、鉄砲職人へと変貌していきます。鉄砲自体も様々な部品で出来上がっているため、それぞれの部品を作る鋳物師、鍛冶屋が必要でした。大量生産できる。高付加価値で高値で売れる。どこも欲しがる。もう鉄砲バブルです。
一つの鉄砲をここまで構造分析し、数年で日本全国まで広まるほど量産できる技術を持っている日本。ここから戦争のやり方が変わっていくのでした。
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